SF好きなら「(実在しない)切り抜きチャンネル」はチェックしろ

この記事を書いた理由

 昨日、文学フリマ東京35のWebカタログをチェックするスペース配信を行いました。

 その中で、今回文フリ東京に出店予定の「(実在しない)切り抜きチャンネル」についてコメントしたところ、私と共にスピーカーになってくださったねじれ双角錐群のcydonianbananaさん、murashitさんのお二人が共にこのチャンネルをご存じでなく、また聞いてくださっていた方の中にも複数の方が「知らなかった、面白そう」という反応を返してくれていました。

 自分は小説については感想をこのブログに書き残し、布教すべきものを布教したいと思っていますが、YouTubeなどの動画コンテンツは本分ではないというか、そんなdigってないし、見たものについても特別感想を書いたりはしていません(聴いた音MADをひたすらツイートし続けている事例はあるが……)。この「(実在しない)切り抜きチャンネル」についてもたまたま知っていただけで、この分野(他の先行事例)に詳しいわけでもないし、ついでに言うとそもそもVTuberもそんな追いかけていません。だからあんまり偉そうに語れないよなという感覚があります。

 ただ、今回「(実在しない)切り抜きチャンネル」はSFファン向きだと思われるのにあまり知られていないのだなと思ったし、しかも文学フリマにSFカテゴリでスペースを出すということは同チャンネル側も多少なりともそういう方向を意識してるんだなと思ったので、主に文学フリマ特にSFカテゴリに関心を持っている方に向けて、紹介を書いてみることにしました。

 SF性が強く、自分が好きな三本を中心に紹介します。

現実側に注入するセンスオブワンダー:銀河貨物列車で働いてた話をする船乗ちとせ

「(実在しない)切り抜きチャンネル」は、その名前の通り、「VTuberの配信の切り抜き動画」という体裁をとったショートフィクション動画を投稿しているチャンネルだ。本日現在(告知や英語版等を除き)12本の動画が投稿されているが、各動画に登場するVTuberはいずれも実在する配信者ではない。にもかかわらず各動画はあたかも本当に実在のVTuberの配信の切り抜きに見えるクオリティとリアリティをもっており、配信の内容からリスナーの反応、切り抜き動画らしい編集まで含めて精緻に作り込まれている。

 たとえば昨夜のスペースで私が言及した同チャンネル一本目の動画「銀河貨物列車で働いてた話をする船乗ちとせ」は、マイクラ配信の始まる前の雑談部分を編集したという体の動画だ。

 船乗ちとせは、マイクラは過去にやっていたことがあるがバージョンが古いから最近のはよく知らない(これ自体、あるあるネタだ)、という話題から、なぜ自分が古いバージョンのマイクラを長くプレイしていたのかという切り口で、配信をはじめる前にしていた仕事について話す。銀河貨物列車の車掌をしていて、しかも南十字線という一番時間がかかる線で、実に地球からの往復が三年間だったという。するとリスナーにも銀河貨物列車に詳しい人がいて、チャットで反応が返ってきたりする。

 つまり、この作中世界において銀河貨物列車というのは(よく知られていないまでも)実在している設定なのだということがかなり自然な流れで示されるのである。宇宙旅行が当たり前に存在している。SFである。(なお、この設定の示し方は後述する「間接的な語り」であり、技法としてもSF的だ)

 その一方で、前職の話を普通に喋り始めて途中で「バーチャルの方ね!」と挟む(「中の人」の現実の職業じゃなくてバーチャルの職業ですよ、の意)みたいな様式美的小ネタもしっかり挟まってきて、リアリティラインをふよふよさせて良い。往復三年間ほとんどインターネットもない環境だから、乗り込む前にはゲームや映画や漫画を大量にダウンロードして、だからマイクラも古いバージョンを……という経験談が続き、視聴者はなめらかにフィクションの世界に飲まれていく。

 思うにそもそもVTuberというのは、配信者によってラインは千差万別だけれども、リアルとバーチャルの境界で活動をしている。バーチャルのキャラクター設定に基づく演技に徹することもあれば、演者の本人の生活や経験や人間性が垣間見えることもあり、多くのVTuberがその中間に漂っているのではないか(それこそ、前職語りを「バーチャルの!」と回収してしまうしぐさがその一つだ)。そこにおいて、バーチャル側ではなく現実の側にセンスオブワンダーを注ぎ込むことが、この創作形式の特徴であり、視聴者のフィクションへのなめらかな没入を助けているのではないかと思う。

モノローグを響かせる「配信」の語り:高校の頃は「ハル係」だった狛江ごう

 この語りの形式を活かしていると思う動画として、同チャンネルの二本目の「高校の頃は「ハル係」だった狛江ごう」はかなりお気に入りだ。

 高校時代の思い出についてリスナーに問われた「狛江ごう」は、当時全国の高校に配備されて生徒に交じって学校生活をして学習データを集めていたロボット「ハル」について、自分が「ハル係」として接した思い出を語り始める。友達がいなかった狛江ごうが「ハル」と心を通わせていった様子が、本人による回想という形で語られる。完全にSF設定。めちゃくちゃ良い。

 ここで大きな効果を上げているのが、狛江ごうのVTuberとしてのキャラクター性だと自分は思う。配信を少し聞けば、狛江ごうがそれほど感情を表に出さずに淡々と喋るキャラクターであることは察せられ、それがロボットとの交流というテーマにもうまく噛み合う。また、狛江ごうの一人称は「僕」なのだが、これは自分の個人的な読みにすぎないけれど、性別が明示的ではない。この切り抜き動画内で明示されていないだけで配信者のプロフィールとしては男女のいずれかなのかもしれないし、クィア的、ノンバイナリー的な面をプロフィール上で明示しているかもしれないし、あるいは単に非公開としているのかもしれない(いずれも実在のVTuberにおいて十分に例のあることだ)、それはわからないのだが、少なくともこの切り抜き動画内でそのあたりの見方が狭められていないことが、後半の「ハル」との関係、その関係を回想モノローグの形で語ること、またその語り方が非常に肯定的であること、さらに想像を広げれば、その語りが狛江ごうのリスナーたちに受け入れられているであろうとわかること(作中のリスナーの反応を、この動画を見ている私たちが想像できる……これは結構複雑な構図だ)、ここまで含めて非常に良い効果を生んでいると思えて、自分としてはとても好ましく感じた。

 語りの形式には得手不得手というものがある。ここまでに紹介した二本は、VTuberの配信という形である以上、基本的にモノローグによって構成されている(特に作品の後半のクライマックス部分はモノローグ全振りになりがちである)。おそらく、二本のどちらも、これが小説として文字になったモノローグであれば、上に語ったほどの魅力は感じられないだろう。多分、「直球過ぎる」という感想になると思う。小説という語りの形式では、主人公にモノローグで「楽しかった」とか言わせるのは基本的には悪手とされている。一方で本作は、VTuberの配信という形式を取るからこそ、率直な感情の吐露であり、かつ、Vとして多少のキャラクター演出が入っているという二重性に包まれて、この直球のモノローグが受け入れやすいという性質があるのではないか。加えて言えば、さらにそれの切り取り動画なので、切り取り者がそこに演出を加えている(BGMや効果音)という作意のレイヤーがあるのもニクい。

間接的な語りの実践:「桜の木はセーブポイント」説を唱える鶴巻いずみ

 じゃあ、全部モノローグなのかというと、それだけでもない試みをしているのがこのチャンネルの面白さである。単純にモノローグではなくてダイアローグ、二人の配信者でやっているラジオ風作品もあるし、四人のもあるし、二人なんだけど一人(?)という作品もある。

 だが中でも一番語り方として面白いと自分が思うのは「「桜の木はセーブポイント」説を唱える鶴巻いずみ」だ。

 この動画は厳密にいえばもう「切り抜き動画」を超えている。ちょっと禁じ手っぽい。「切り抜き動画」である以上、切り抜いた主体が存在しないといけないのだが、もうこれはもはやそういう問題ではなくなっているからだ。これはネタバレすると面白くないので、具体的には是非動画を見て欲しい。

 視聴者は動画内にちりばめられた要素を繋いで物語を感じ取ることができる。直球のモノローグとは正反対のほのめかしであり、それにより深みのある表現になっていると思う。

 余談として無理矢理引きつけるんだけれども、こういった間接的な語り(Indirect Narration)について、ル=グウィンは『文体の舵をとれ』において「SFやファンタジーの書き手が強く意識している」技術だと述べている。なぜならば、一般にSFやファンタジーというのは読者に伝えるべき設定が多くあるのだが、それを直接説明していては〈説明のダマ〉になってしまう。語っているそぶりを見せないままに物事について話すという物語のあり方が必要になる。媒体は異なれど、まさにこの作品が実践していることだと思う。

文学フリマ東京35に出店されるようです

 で、そんな「(実在しない)切り抜きチャンネル」さんが、文学フリマ東京35に出店されるとのことです。過去作品のオーディオドラマ版CDを販売するとのこと。正直もうCDって再生環境から遠ざかっているところがあり手を出しづらい昨今ですけど、解説ブックレットがつくというのが気になるな……。

 文学フリマでは、「自分が〈文学〉と信じるもの」が文学の定義とされています。なのでCDの販売はOKだし、「(実在しない)切り抜きチャンネル」さんがその活動に文学を見いだしていると解釈していいと思うし、SFカテゴリなのもそういうことなのだと私は勝手に解釈しています。実際には同チャンネルにはSF以外のジャンルに当てはまるであろう動画も投稿されているのですが(そっちも好き)、SFカテゴリなのはちょっと嬉しいよね。

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 SFファンは是非チェックしましょう!


宣伝コーナー:私の新作小説も文学フリマ東京35にあるのでよろしくね

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