土地アンソロジーいいな。単に京都というワードを超えて芯がある(編者あとがきではそれが〈記憶〉とか〈過去の蓄積〉といった言葉になるだろうと言語化されていて、しっくりくる)のがよかった。特に好きだった三作品の感想です。
千葉集「京都は存在しない」
- 1945年に京都が存在しなくなり(!)、しかし時折人々の中に二十歳前後の四年間を京都で過ごしたという記憶を幻視するものが現れ、その中から京都エッセイ作家が出てきて、その情報を繋ぎあわせて京都ガイドマップが出ていて……。
- 京都ローカル情報を大量にちりばめつつ、思い出の街の記憶の危うさを逆手に取ったすごい作品。二十歳前後の四年間を京都で過ごしてその思い出の引力に良くも悪くも引っ張られ続けている人、というステレオタイプを、SF的な空想でうまくぶち上げている。そもそも街は生き物で絶えず変化し続けるので、京都に限らず私たちが(既にそれ以上の年齢である場合に)二十歳前後の四年間を過ごした街というのはある意味でもう存在しないし、他の人と共有できているようでできていないし、記憶は歪められたり作られたりするだろう。なんかそういう、それ自体は割と平凡で当たり前の話を、天を摩する虚無の柱のイメージでぶっ飛ばしてくる。物語内で既に京都が失われているどころか1945年から失われているというスケール感も絶妙で好き。
暴力と破滅の運び手「ピアニスト」
- 異様な力を持つピアニストのウツィア、各人の思い浮かべたイメージを形にするインスタレーション《未在の庭》、レベッカ・クラークの選べなかった人生の可能性を題材にした《クラーク・ワークス》。
- あらすじを書くのが結構難しくて込み入っている気がするんだけれど、文章としてはとても読みやすく自然であるし、不思議な感じがする。上の、あらすじにもなってないけど説明の要素を並べる作業をして始めて、色々と自分の中で話が繋がってきた。
- 一見すると京都の度合いというか、京都である必然性がちょっと薄いように最初は思える。けれど読み直すとだんだんしっくりくるというか、インスタレーションの会場となっていた石庭であったり、主人公が管理しているビルであったり、出てくる人々であったり、ああこれは京都だなという根拠はよくわからないけれど納得感がある。なんか、東京ではないし。大阪でもないだろうし。言語化はうまくできない。
- ウツィアがある種の異能を持った存在なわけだけれど、それがそこまで完全に万能と言えるほどのものではなく(《未在の庭》での試みは上手くいかなかったのだし、そこで黒海さんが巻き返すシーンかなり好き)どちらかといえば寂しそうに思える結び方がよかった。
溝渕久美子「第二回京都西陣エクストリーム軒先駐車大会」
- 自動運転のおかげで自分で駐車することなどなくなった時代に、軒先のぎりぎりにエクストリーム駐車する超絶技巧を競う大会を企画し自ら競う主人公が、エクストリーム軒先駐車のコツ、それを通じて重要なことを理解する話。
- エクストリーム軒先駐車大会という単語が面白すぎて最初見逃すんだけどしっかり第二回にしてあるタイトルが良い。というかタイトルだけだとトンチキ競技ギャグ小説のようにミスリードされるのだが、そうではなく王道の地元愛の話であるし、判定にセンサー使われてるけど技術自体は純粋な運転技術だし、主人公が見いだすのも無茶苦茶な理屈とかではなく地に足のついた話だし、なんというかしっかり話が運ばれるのがとてもよかった。
- 西陣エクストリーム軒先駐車の大会であって、単に運転技術の大会ではないということ。
- ところでエクストリーム軒先駐車のイメージ図は頭にあるんだけど本物を見たことはなく、縦列駐車的な感覚とすると頭からって無理なんじゃないのと思ったんだけど本場では実際に頭からのテクニックがあるのか? 見てみたすぎる。