文学フリマ東京35にて入手。表紙・デザイン・組版がすごく良い。小説の他、漫画、詩、短歌、論考、エッセイが収録されていてボリュームがある。テーマが「迷子なのか?」という、なかなか聞いたことがないタイプのテーマ設定で面白い。以下、小説についての感想。ネタバレが含まれる。
松樹凛「帰宅」
塾帰りの息子とそれを心配して電話をかける母、その通話の会話文で進行する、ホラー風味の話。異界駅っぽい設定から、しかし怪異に相対して、迷子になっている方である息子は始終軽い調子で、心配しているのは家で待つ母親の方であるという落差が良い(要領を得ない電話を通じて異常さが伝わってくるというのはあとがきに言及されている通りでジュディ・バドニッツ「来訪者」オマージュのようだ)。はしごを外すような不気味なオチが良かった。
伊東黒雲「歩調たち」
犬小説。ただの犬ではなさそうだが。散歩小説のほうがしっくりくるのかもしれない。写真、というか透視法?の解説パートが急に始まったりしてどこへいくのかわからないままに連れて行かれる小説。散歩なら帰ってこないといけない、そう、犬の散歩なんかだと確かにその通りだなと思った。
多賀盛剛「poacher」
小説ってどうやって書いたらいいんだろうみたいなことが書いてある小説というのは自分はあまり好きではないのですが(これはこの作品の巧拙とかでなくて、好みの方向性の問題として)、でも、病院、手術、麻酔やそれに関連した記憶の混濁、そこに後付けされる記憶、といった話題は関心のある領域なので、その部分が面白く読めた。
藤井佯「わたしはエミュー」
エミュー小説。動物フィーチャーモノ、良い。集団脱走するエミュー、その神話(?)のような幻想、近代オーストラリアにおけるエミュー討伐の話、急にSFっぽくなるエミュー、など、エミューという生き物を共通項にしつつ楽章のように読み味が切り替わっていくのが面白い。メレディス少佐がエミューに執着してしまうあたりの展開が好き(定番なのかもしれないが、こういう動物へのオブセッションみたいなのが好きなんだ)。
灰谷魚「今なら私がもらえます」
友人との親愛関係とカルト宗教の話。子どもの頃に憧れていた一つ上の友達と偶然再会した主人公が、彼女に惹かれ、流されつつ、しかし彼女はあるカルト宗教に所属していて、主人公を勧誘したりはしないと言うけれども、という、どうしようもなさ、どうしようもない生々しさのある小説。カルト宗教の雰囲気や、主人公が彼女に向けるアンビバレントな視線、呼び出されれば会いに行ってしまう、他愛もない雑談は楽しくて、彼女に魅力を感じる、けど宗教周りの特定の話題になった瞬間に気分がずんと落ちる、この感じがすごすぎる。タイトルもめちゃくちゃ良い。本誌掲載作ではこれが一番好き。とてもよかった。