【感想】『留年百合アンソロジー ダブリナーズ』ストレンジ・フィクションズ

 参加した合同誌です。以下Booth通販は好評につき現在は完売しており、増刷や電子版はあるかもしれないしないかもしれないようです。

留年百合小説アンソロジー ダブリナーズ - ストレンジ・フィクションズ - BOOTH
(*今回は第一次予約分となります。予約受付は5月15日まで) (*初売りは5月19日の文学フリマ東京です) (*発送は5月20日以降となります) 百合――それはふたりの時を留める愛のマジック。 留年――それはあなたの時を止める奇跡のメカニッ...

 感想書くのにエネルギーがいるような、密度高めの作品が多くすごい一冊だと思います。

 ネタバレがある感想です。

「全然そうは見えません」笹幡みなみ

 私のです。

「海へ棄てに」紙月真魚

 初対面の新歓で意気投合し酔い潰れて以来の奇縁である漫研の先輩と連絡がとれなくなって数ヶ月、久しぶりに連絡を受けた主人公は、先輩が何かを海に棄てにいくのに同行する。道すがら、先輩は人生の手本にしていた人、画家である叔母について語り始めた。

 文体が楽しそうで良い。文体が楽しそうでいいな……(二度言う)。正しく大学生らしさというか、まあ、四年ある、四年でない場合もある、それでその先は何をどうするのか、という平凡な大問題があって、主人公なんかはそこにある種の折り合いが付けられる人間で(でもそういうそつなくこなすって顔しとる割に教授と面談中にメッセージ返すのはやめなさい)、という地面がありながら、サブカル的青春な出会いであったり、先輩と叔母の人生の物語の遠さであったりの絶妙なミックス具合が良く感じられた。遠くへいってしまった人の引力に対して抗う終盤の幻視がとても好き。

「still」鷲羽巧

 見開きの左ページにスケッチ、右ページに言葉の構成で綴られる、「わたし」の追憶。

 まずはその形式が他と違っているという所にもちろん注目がいくのだけれど(スケッチの質感が好きだ)、中身をじっくりと味わっていくと、この作品の留年との向き合い方というか距離感にも感じるものがある。留年百合、というテーマなので、やっぱり物語の中に留年を組み込むというか、なぜ留年したのか(それだけの影響をもたらす何か重大なことがあった)という作品が多めに収録されていて、そうでない作品では割と留年はさらりと使っているという印象があるところ、この作品は留年の理由の話ではなくて、でも切実に留年の話で。その他に埋もれない切り口だからこそ、少ない言葉でしっかりと刺さってくるのかなと思った。

「切断された言葉」茎ひとみ

 姉の結婚式で幼少期のビデオを見たのをきっかけに、主人公はかつて双子の姉妹のようにそっくりの友人がいたことを思い出す。二人は同じ服装をし、可能な限り記憶を共有し、二人だけに通じる手指のジェスチャーでの会話までできた。

 ホラーじゃないか。仲が良すぎる相手と自分たちだけに通じる手法を作ってしまうというのも、しかしあるとき互いに憎しみあっていることに気づくというのも、それ自体迫力がある。と同時に、そんな非凡な過去を共有していたはずの塔子のことを忘れてしまっていたり、露久志さんに気づいていなかったという主人公の記憶は明らかに信頼できず、その破綻具合がまた怖い。そして怖いのに、結末の部分は非常に納得感があるというか、それしかないという収まりどころの構造になっていてとても好き。初読時は留年要素は申し訳程度だなという感じがしたのだが、改めて考えてみればこれは同期が外れてしまった二人をもう一度同期させようということであり、二人が離れた事件によって生じた留年でズレてしまった学年を取り戻している(同期だけに)試みだと思うと、これは留年百合だ。

「ウニは育つのに五年かかる」小野繙

 四歳の時にウニ軍艦を食べて失神し「オホーツク海を見渡せる小屋でメスのウニを育て、熟した卵巣を啜らなければならない」という天啓を得た主人公が北大に入り、映画サークルの勧誘をしているウニ頭の先輩に一目惚れする。

「オホーツク海を見渡せる小屋でメスのウニを育て、熟した卵巣を啜らなければならない」という天啓ってなんだよ。一体何を読まされているんだ。「絶対東大!」のあたりで本当にこれは何の話なんだよと思っていたら、映画サークルのサブカル青春コメディのエモさ(美里と宮下のカラオケのあたりのノリめちゃ好き)を経て気づいたらミステリになって最後綺麗に結ばれるという弩級の展開に連れていかれていた。ミステリ要素はアンソロジーのお題を逆手に取った感じがしてテクい。また、最初に天啓エピソードと「絶対東大!」から始まるのが結果的に一瞬目くらましみたいになっているのだけれど、結果的には実はこれは主人公は夢野まほろというよりも美里(と小春)の方であって、夢野という異次元の天才に行き逢ってしまった側の物語なんだなと、特に最後のシーンなんかでは思う(それで最後、大学図書館の視聴覚室で観るみたいな小技が、後日談として良すぎる)。

 余談ですが、小野繙さんのブログにあった、ミステリ要素ないとキレられるかなという心配、わかる~と思いました。それでいうと私は今回、東京の大学の話を書いたら浮いた感じになりそうだけど、適当に京都の大学の話を書こうなんてことをしたら終わるなと思って悩んでいたのですが、北海道の大学の話があってよかったです(?)

「不可侵条約」murashit

 居酒屋のカウンターでひとり飲んでいる客が、後ろのテーブル席の女二人の痴話喧嘩を聞いている、という状況らしいが……。

 一体何を読まされているんだ2(ツー)。この小説は、ダッシュで始まる記述(ここだけブロック体)、地の文、カギカッコの台詞の三要素によって構成されている。読み始めると、ダッシュで始まる記述は居酒屋という舞台を客観的に説明していて、地の文はカウンターに座っている客による心内の語り、そしてカギカッコの台詞は、地の文の客が聞いている背後のテーブル席の女二人のうちの片方が一方的に喋っている台詞だ、ということまではすぐに飲み込める。しかし途中で、ダッシュで始まる記述の中に「上手」「退場」といった言葉が出現し、どうやらこれは舞台の上を説明している描写であることが示唆され、さらには「ビールサーバーとビールは実物を使用のこと」という指示をする記述から、これが脚本のト書きのようなものだとわかる。なるほど、これは脚本のような形式をとった小説なのか、そうすると地の文はカウンターの客のモノローグということなのかな、と読み進めるとしかし、地の文の客が「観客のなかに声をあげたのさえ聞こえたのではなかったか」などと語る。つまりこの客も、自分がいるのが舞台の上で、観客が存在していることを認識しているのだ。いや、それはちょっと厳密ではなくて、つまり、客が本当に演じている配役なのだとしたら、演者としてのその人は当然観客を認識しているからそれはいいんだけど、そうじゃなくて、この地の文に書かれている語りにおいてそれが出現してしまうというのは、だから、これが戯曲のような構成をとった小説ではない(脚本のモノローグに演者の心情が書かれることなんてない)というひっくり返しがここで起きているのだった。そうすると、そのあと客は天気予報を聞いて「久しぶりに出かけようと思っていたというのに」とか「傘を持ってきていなかったのでは」とかいうのだが、これだって、居酒屋の客という役としての心配なのか、演者の心の内なのか、判然としないし、いやそもそも演者が役を演じているという前提ももはや無条件に置くことはできなくなっている。ダッシュで始まる記述は「カウンターの客、荷物を漁る」と書くけれども、それが客という役への指示としてのト書きなのか、それとも現に客が荷物を漁っているという起きている出来事を観測して書いている語りなのか、それもわからなくなる。その混乱にダメ押しするかのように、ダッシュで始まる記述の中で客席から召使が上がってきて「奥方さま?」である。は? ダッシュで始まる記述の中では一貫して「店主」という記述だが、地の文で「おかみさん」と書かれているので、この「奥方さま?」も店主のことではあろうが、ここは現代の居酒屋で、その店主に召使が「奥方さま?」とはどういうことなのか? それも、客席から上ってきて。召使が客席にいたの? それで、また終盤にもなにか怪しいことがちょいちょい書いてあるのだが(もちろん一番最後もそうだし、その手前、「席を立つわけにはいかないらしかった」とか)、いや、もう、これは何なんだ、と思っているうちに何だったのかわからずに終わった。何だったんですか? 全然わかりません。嘘、ホントはなんかわかりそうな気もする。だってテーブル席の女はそんな話してたもんね? だから、頼る頼られる、許す許される、記述する記述される、演じる演じられる、舞台と客席、主体と客体、そういう「どっちが」っていうのをやめる、その関係性を、いってしまえば卒業する、そういうことだよね? 完全に理解しました。全くわからない。誰か解説スペースを開催して下さい。

「パンケーキの重ね方。」孔田多紀

 高校軽音部でバンドを組んでいた四人のうち二人が突然退部すると言いだした。聞けば、実は二人は付き合っていたのだが、その関係が破綻したのだという。だがその破局の理由に納得ができない主人公は、名探偵に相談するのだった。

 苦い人間関係の動機に関するミステリ、なのだが、所々謎要素が飛び道具的に聞いている。ASMR、流行ってるな。あと高校時代の制服を着て母校に潜入して自分がアニメ化されたときのキャラの声真似する真雪さんが強すぎる。という飛び道具もありつつ、全体を振り返るとキャラ数が多いのをそれぞれにきちんと掘り下げた上でまとまっていてすごいなと思うし、うなぎパイの歌でこんなエモく締まるとは思わなかったという良さもあった。

 なお本作は、『夜になっても遊びつづけろ よふかし百合アンソロジー』収録の「餃子の焼き方。」、『ストレンジ・フィクションズ vol.4 特集:架空アンソロジー』収録の「胡瓜の絞り方。」に続く三部作の三作目ということなのですが、私がストフィク4を買い逃しており、「胡瓜の絞り方。」が読めてないんですよね。本作「パンケーキの重ね方。」のメインの筋は独立して楽しく読めるものではあるものの、キャラクター小説的な良さもあるところ、通しでもう一度読みたいなぁと思い、ストフィク4の電子版配信・再版を希求いたします。

 あと余談ですがうなぎパイが出てきたとき今回は静岡で拙作とシンクロしたと思いました。

「春にはぐれる」織戸久貴

 高校時代に破天荒さで有名だった「ピンク髪先輩」と大学で再会した主人公は、講義で顔を合わせ本を借りるゆるい距離感の関係を作るが、あるときから先輩は講義に現れなくなる。二回生の秋になって再会した先輩は留年が決まったという。そしてその冬から世界が終わり始める。

 いや~、世界が終わるのはズルいでしょ。留年を含めた、人生や人間関係の問題として丁寧で優れた物語だと思うんですけど(大学の中でも長めの作中時間軸の作り方とか、海莉の途中から入ってくる構造とか、なんというか明らかに高レベル)、そこに途中から世界が終わることでブーストが加わっている。でその世界の終わり方も冬になるっていう、タイトルの通りで、留年ですよね(?)。留年百合だ。本書では一番好きな作品でした。

 あとなんか留年百合、先輩失踪しがちとかはなんか読む前からある程度わかってたことだから複数の作品で被ってるのもまあそうだよねと思うんだけど、誰かのために奇抜な髪にするっていう要素がまさかの被りを見せてたのは笑った。

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