【問二(遠隔型の語り手)】
一灯の明かりだけが照らす小さな露天風呂に、二人の若い女がいた。
一人の女が湯に入るところだ。もう一人に遠慮するような間柄ではないらしく、肌を露わに湯船に足を踏み入れる。身を浸しながらその表情はもう緩んでいる。湯の中でゆったりと手足を投げ出す。
先に湯に浸かっていた方の女は違う目をしていた。長い茶髪を団子にまとめ、小柄なせいか口元間際まで湯に沈んでいる。眠そうな目の奥は、しかし鋭くあたりを窺っている。
二人は言葉を交わさない。互いに何度か口を開きかけたが、言葉は出ない。あたりには微かな水音だけが響く。しかしそこに混じって近づいてくる足音がある。
警戒態勢の女は動かない。先ほどまで弛緩しきっていた方の女は身体をこわばらせ、目を泳がせている。怪異が上がり場からやってくる。現れたのは、黒い大男。足を引きずり歩くその背には闇が湧き立っている。爛々と輝く赤目が笑むように歪む。黒い巨体が湯船に迫る。赤い視線は二人を順番に舐め、震えている方に定まった。巨大な足が湯に入る。小さな水音がした。
そこで女が動いた。さっきまで思案顔で静止していた、小柄な方の女だ。もう一人の方に怪異が向かうのを見た瞬間、覚悟を決めた表情で立ち上がる。ただ立ち上がったのではなかった。その身体が伸び上がる。まとめられた茶髪も、火照った白い肌も、先ほどまで湯に沈んでいた小さな肩も漆黒に膨れ上がり、怪異と瓜二つの巨体に変じる。そうしてそのまま、巨体は湯に倒れ込んだ。水面を叩く轟音が場を破る。本物の方の黒い巨体はびくりと鋭く震え、水飛沫を浴びながら一目散に逃げ出した。
湯から出てきた顔は、顔だけ変化が解けて元の女の顔。頬は火照り、髪は解けて首筋に纏わり付いている。だが身体は黒い巨体のまま。そのままもう一人に笑いかけると、震えていた方の女は苦笑で応じた。
【問三(傍観の語り手)】
このような若い方が、それもお二人も一度にこの黙の湯にお越しになるのは、いまではとても珍しいことでございます。お一方はもう、この黙の湯の効験にお気づきのようです。幾度か口を開いて確かめた後、じっと何かをお考えのようでございます。もうお一方は何も気にせず、ゆるりと湯を楽しまれているご様子。湯船で手足を伸ばし、心地よさそうに息を吐かれるのを見ますと、この黙の湯も大変嬉しゅう存じます。
けれど、どういたしましょう。あの人食いがやって来ました。真っ暗闇の大きな身体を引きずり、湯殿に入ってきます。わたくしのなす静けさを悪用し、宿に泊めた人々を襲う卑劣な男です。人食いの赤い目が女性の片方に狙いを定めました。さきほどこの湯を心から楽しんでいらしたお方です。いまではそのお体は、怯えに震えていらっしゃいます。ああ、とわたくしは目を覆いたくなります。
そのときです。もうお一方の女性が立ち上がったかと思うと、その影がまるで泉の噴き上げるがごとく広がって、人食いと寸分違わぬ黒い身体をなしたのです。ご友人を助けるべく、隠された変化の力を使われた。そのようにわたくしには見えました。しかし人食いと同じ姿になってどうするのかと思えば、その大きな身体がわたくしの湯面に迫ってきます。わたくしは驚きましたが、ひらめくものがありました。この方は初めから、この黙の湯の効験にお気づきであられたのですから。
重い身体が水面を叩き、大きな音を立てます。人食いは、もとより音を嫌うのでございます。男は驚き怯え、足早に逃げ去りました。機転を利かしご友人を救ったこの女性は、顔だけもと通り、身体は人食いの真っ黒のままで、ご友人に微笑みかけます。ご友人の方も、そのちぐはぐに解けた姿に苦笑されているところをみると、事情はご存じであったのでしょう。まことに仲のよろしいことでございます。
* * *
『文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室』の練習問題⑦
「400〜700文字の短い語りになりそうな状況を思い描くこと。なんでも好きなものでいいが、〈複数の人間が何かをしている〉ことが必要だ(複数というのは三人以上であり、四人以上だと便利である)。(中略)
問二:遠隔型の語り手
遠隔型の語り手、〈壁にとまったハエ〉のPOVを用いて、同じ物語を綴ること。
問三:傍観の語り手
元のものに、そこにいながら関係者ではない、単なる傍観者・見物人になる登場人物がいない場合は、ここでそうした登場人物を追加してもいい。その人物の声で、一人称か三人称を用い、同じ物語を綴ること。」
への回答です。