『文体の舵をとれ』練習問題(4)

問一:

 目を閉じ、息を吐ききる。刹那、闇を見切った男の足元、蛇が落ちて転がった。切ったのだ。鋭い切っ先の輝きに、蛇たちは殺意の叫びを向ける。緋色に切れ込む魔眼も、男が目を閉じていれば力を顕さない。蛇たちは一斉に毒牙を光らせ、堰を切ったように正面切って男へ向かう。めまぐるしく男は切った。踏み込んで切った。払いのけて切った。返す刀で切った。纏った青黒い血を振るう暇もなく、ひたすらに切った。だが蛇は切っても絶えぬ。切っても湧き立ち上る。男の足下の岩肌が血に染まりきり、切られた蛇が降りしきり、戦いは切りがない。その濁流に、さすがの男も息が切れる。怪物はそれを逃さず切り込む。その牙を、錐のように突き立てる!

問二:

 誰もいない陸橋の欄干に片肘をつき、馬鹿みたいに甘いアルコールを舐めながら、時折ごうごうと音を立て流れていく電車を見下ろしている。家に待っている空白が怖くて、ここで間を埋める。埋めてそのまま、眠ってしまうのだ。

 けれど今日は、夕暮れ時にしてはあたたかい風が吹いて、春を感じる。

「何、飲んでるんですか」

 あたたかい声がした。三月の肌寒さがどこかへ行ってしまう。穏やかな熱が胸の中を照らしてくれる。そういう声だった。

 振り向けば、春がそこにいた。

 彼女がはじめて現れたのもこの陸橋の上だった。つやつやとした茶髪の間から覗く、まあるく大きな耳にまず目が行く。けれどすぐに、柔らかくこちらを見上げる瞳と目が合う。ふっとその目元が緩んで、口元が緩んで、その薄い微笑みに、春の宵の懐かしいあたたかさに満たされる。後ろに手を組んでゆらゆらと小さく身体を振るようにしてこちらに歩み寄る春の、前を開けたブレザーの裾が揺れ、スカートのプリーツが揺れ、二つ結びにしている長い髪が揺れる。春の訪れ、気もそぞろ。わかっていても、わかっていてもどうしても、私の心もぐらついてしまう。

「それ、お酒ですか? 道でそんなの」

「お前は、春じゃないな」

 春は、つうんと不服そうな表情を一瞬浮かべ、ぽんと小さな音と共に煙に包まれたかと思うと、その向こうから姿を現したのはやはり、秋だった。姉と同じ丸い耳。けれど赤いフレームの眼鏡の向こうの瞳は春よりずっと冷たく、浮かぶのも苦笑いだ。

「どうして化かそうとするの、そんなに私のこと嫌い?」

 春だっていつもなんにでも化けて遊んでいた。たぬきにすれば化けることは日常で、悪意はないと分かってる。けれど、置いていかれた私の前に春の姿をして現れるのは、どうしたって嫌がらせに感じられてしまう。

「先輩、なんで分かるんですか? 私かなり完璧に化けてると思いますけど」

「そこに映ってる影。髪型が秋だった。ショートで」

「ええっ、マジですか? 今日調子悪いのかな……」

 口から出任せだ。地面の影なんて見てない。そもそも日がかなり傾いているからよく見えない。本当は、春が現れるはずないと思っているだけだ。秋は納得いかなそうにわたわたしていたが、もう変身を解いてしまったのだから確かめようもない。それを誤魔化すように言う。

「ま、でもそれにしたって先輩、路上ストロング系はどうかと思いますよ。お姉ちゃんに怒られますって」

「ああ」

「やっぱりお姉ちゃん帰ってきてないんすね?」

「……」

「そのうち帰ってくると思いますけどね。その辺いるんじゃないんすか? 出てくるタイミングなくしてるだけで」

 私は黙る。秋はいつのまにかいなくなる。日がすっかり落ちていき、春の宵の空気が漂っているけれど、春のにおいはしない。

 隙間を埋めきれないまま家に帰ると、酔いも覚めていて、空白がひたすら大きく感じられた。春が来る前と何も変わらないはずなのに。些細なすれ違いで機嫌を損ねてしまっただけ、きっとすぐ何事もなかったかのように戻ってくると思っていたのも最初の数週間で、まさか季節が彼女の名前に追いついてしまうまで戻らないのだとは思わなかった。このままずっと春が現れず、やがて季節の春を迎えてしまうと思うと空虚な胸の穴がじくじくと痛み出した。私は無理矢理に布団に潜り込んだ。

 あのころは、この布団も春のおひさまのにおいがしたものだ。

 また、誰もいない陸橋の欄干に片肘をつき、馬鹿みたいに甘いアルコールを舐めながら、時折ごうごうと音を立て流れていく電車を見下ろしている。線路際の桜が見頃だ。けれど意地を張って春に目を向けず、私は通り過ぎていく電車を数えている。

 あたたかい声がした。穏やかな熱が胸の中を照らしてくれる。そういう声だった。

 振り向けば、春がそこにいた。今日も変わらず、川面に浮かんだ微笑みに、朧月のまあるい輝きに、揺れるつややかな毛先が春の祝福に輝いている。

「お前は、春じゃないな」

 どうして毎日来るんだよ、と思う。秋は秋で、姉が姿をくらまして思うところあるのだろうし、それに私を化かそうとするということは私のことを悪くは思ってはいないはずだ。けれど、私はいま秋ときちんと向き合えるとは思えずにいたのだ。

 ぽんと小さな音、煙の向こうから姿を現した秋は呆れて言った。

「またそんな強いお酒飲んで。ダメですよ先輩」

「コスパ良いんだよ」

「せめてこっちにしましょ」

「はあ、カップ酒。おいお前これどうやって買ったんだよ」

 愚問だった。大人に化けたら買える。あまりにも愚問なので秋は答えず、自分の分のカフェラテのカップを掲げ、眼鏡の奥の瞳で乾杯を促した。

「お花見です、先輩。もう春ですから」

 生あたたかい風が吹いて、桜の花びらがいくらかこちらにも飛んできた。

「……乾杯」

 地面に長く落ちた秋の影の中、二つ結びが揺れる。春のにおいがした。

 * * *

『文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室』の練習問題④重ねて重ねて重ねまくる

問一:語句の反復使用

一段落(三〇〇文字)の語りを執筆し、そのうちで名詞や動詞または形容詞を、少なくとも三回繰り返すこと(ただし目立つ語に限定し、助詞などの目立たない語は不可)。(これは講座中の執筆に適した練習問題だ。声に出して読む前に、繰り返しの言葉を口にしないように。耳で聞いて、みんなにわかるかな?)

問二:構成上の反復

語りを短く(七〇〇~二〇〇〇文字)執筆するが、そこではまず何か発言や行為があってから、そのあとそのエコーや繰り返しとして何らかの発言や行為を(おおむね別の文脈なり別の人なり別の規模で)出すこと。やりたいのなら物語として完結させてもいいし、語りの断片でもいい。

への回答です。

 繰り返すのは楽しいし、天丼とか好き、ついでにいうと重ね合わせるのも好物なので、問題としてはしっくり来て、普通に書きました。しかし、合評会で出てきた他の方の作品が結構方向性というか、題意の解釈が違っていて、自分が当然こういうことを求められてるんですよねと思ったところからの振れ幅が大きいのが意外で面白かった。

 問一は、練習問題だし、三回とはいわずいっぱいやろうぜと思った。一章(声に出して読む語り)に近い感覚で書いた。

 問二は、問一が表記や音声のレベルでの繰り返しだったのに対して、構成として繰り返せ(そして単に繰り返すのでなく、変化を付けろ)という狙いだと読み取ったので、そこを意識した。題材や顛末に手癖(性癖)が出てる。上限2000字いっぱい使ったけどちょっと切り抜き感強いので、好きなネタだけにもっとやりたい気持ちがあったりします。まあ断片で良いって問題文には書いてあるんだけど。合評会でエモいとコメントいただけたので良かったです。

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