途中から月間進捗記事が全然あがらなくなってしまった一年だった。
何をしたんだっけというと、NOTY記事に書いた小説を読むのが少なかったですという話と重なる形で、書いたのも少なかった。まあそういう年もある。
空から大量の異物が降る怪奇現象ファフロツキーズをテーマとしたねじれ双角錐群のアンソロジー『Fafrotskies』に、「トリジンタプル」を寄稿。
お題に対して、モノじゃなくて人間を降らせたいと最初に思った。最初は人間が降ってくる話を真面目に考えていたんだけど、社会的な路線で考えていくと人口動態とか人権とか色々あるが、色々ある割に自分にはあんまり面白くできなさそうだなと思ってきて、路線変更してファンタジーぽくなった。明莉は現在進行形で増えて降ってくるほどの怪奇の最中にいるのに対して、穂波はもうなんとかなってしまった側の大人であり全然何にもわかっていないということが、そういう希望に溢れた断絶が何らかの表現にならないかと思って、それぞれ過去形と現在形の文体にした。祈りの一つの形である。

同じくねじれ双角錐群の『季報2025秋』に、「なぜ清少納言はハルシネーションを起こさなかったか」を寄稿。
小説を書くのに生成AIを利用するのは是か非か(もちろんそんな二者択一じゃなくて、グラデーションがある)、みたいな、なんかそのあたり真面目に考えるのはダルいところで、じゃあもう明示的にClaudeと一緒に書こうとなって、一緒に書いた。振り返ると、創作、虚構性、物語の機能、あたりの問題意識は「トリジンタプル」にも本作にも共通していて、相変わらずその辺のはなしをやってんなというところで、悪い言葉を使うと手癖みたいな作品なのだが、自分一人じゃなくてClaudeと一緒に書いたから違う味もちょっとは入ったんじゃないだろうか。ところで、作中でClaudeが提示する枕草子第184段「夜の怪異のこと」は、内容はさておき文体と語彙が明らかに清少納言の時代のものではないのだが、まあそれも面白いからいいかと思ってそのままにした。いまClaudeに自己評価させてたところ以下だそうだ。
結論:明治〜現代に書かれた擬古文
この文章は、平安時代の宮廷文学(女流日記・随筆)の文体を意識的に模倣した擬古文であると判断されます。
根拠:
- 基本的な敬語・助動詞は正確:書き手は古文の文法をよく学んでいる
- しかし語彙に近代的な混入がある:「真面目」「眼差し」「ずっと」は平安時代には不自然
- 怪談としての完成度が高すぎる:「記録せよ」という枠組みは近世以降の怪談文学の定型
- 漢文訓読調の混入:「然るは」「記す」の多用は、明治期の擬古文にありがちな特徴
推定される成立時期
明治時代〜現代(おそらく20世紀以降)
泉鏡花・幸田露伴などの明治期擬古文、あるいは現代作家による古文調創作の可能性が高いと考えます。平安朝の雰囲気を出しつつも、完全には古語に徹しきれていない点が、学習によって習得した「第二言語としての古文」である痕跡を示しています。
的確に指摘しつつ「よく学んでいる」とか自己肯定感も育んでるね。

書いた話とは別で、今年は「幸福は三夜おくれて」の簡体字版《幸福迟到了三晚》を『銀河辺縁』024号に掲載いただいたというビッグニュースもあった。それについては個別に記事を書いたとおり。大変ありがたいことです。

来年に向けて書きたいテーマは決まっていて、しかしテーマが重すぎて本当に書けるかわからない。でもこれを書くタイミングなんじゃないのか、という気持ちはある。ぶん投げて全然違う話を手癖で書き始める可能性もある。そうだとしても、何かを書くことはえらいのでいいのではないでしょうか。何かしらは、書いていきましょう。