「私の自由な選択として」の説明書

 本記事は、《取扱説明書》をテーマとしたSF・幻想短編アンソロジー、ねじれ双角錐群『故障かなと思ったら』に寄稿した笹幡みなみ「私の自由な選択として」の解題(?)メモです。『故障かなと思ったら』は現在BOOTH通販で紙の本が、Amazon Kindleで電子版が購入できますので、是非お読み下さい。

故障かなと思ったら - ねじれ双角錐群 - BOOTH
《取扱説明書》をテーマとするSF・幻想短編アンソロジー。 文芸同人:ねじれ双角錐群により、文学フリマ東京35にて頒布。 B6版 226ページ。

 以下は作品内容のネタバレであるのはもちろんのこと、どういう意図で書いたかとかが説明されています。もしよろしければ先に作品をお読み下さい。

エピグラフ

もし毎度毎度、だれかに親切にするのと同時に、いやなやつみたいに振る舞っているとしたら、どうしてこのわたしは親切にしなきゃいけないの?

テッド・チャン「不安は自由のめまい」(大森望訳) ここでは原文の傍点を太字に変更
  • テッド・チャン「不安は自由のめまい」は本作のリスペクト先。上記引用部は本作が取り上げる、「並行世界の自分の行動について情報を得ることで、この自分の行動に対する自信や、自らの意思というものに対する感覚が揺らぐ」という感覚を端的に表していると思い、引用した。
  • 「不安は自由のめまい」に登場する「プリズム」の技術で並行世界とやりとりできる情報や条件はかなり制約があるが、本作ではそれよりも大規模な(その分、理屈は無理がある)「パラスタット」を題材にしている。

いかに美しいことか
山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。

イザヤ書、第五二章第七節(新共同訳)
  • 旧約聖書から。単純に「足」に関する句であるだけでなく、「山々を行き巡り良い知らせを伝える」というフレーズも暗示的で良いと思った。
  • 作中にも登場する反射療法の開祖、ユーニス・イングハムの著書“Stories the feet can tell”でもこのエピグラフが引用されており、感動したので借用した。
  • なお、エピグラフを二つ持ってきたのは、同じく並行世界SF短編のマスターピースであるところの伴名練「なめらかな世界と、その敵」リスペクトである。

エレベーターの中

二〇二五年六月二十五日、ニューヨーク。

  • 確率的に発生する(=パラスタットから並行世界の地球での被害状況を得ることが有益である)大規模災害として、構想時に最初に頭にあったのは当然ながらパンデミックだった。感染の拡大と収束(そしてそれを確率モデルで予測すること)、変異株の出現によるドラスティックな状況の転換、驚異的なスピードでのワクチンの開発と接種のオペレーション、いずれも本作執筆時点で記憶に新しかった。しかし、記憶に新しすぎると思ったので、違う題材を選びたかった。そこで選んだのが太陽フレアであった。
  • 2025年に太陽フレアの活動が活発化することが予測されており、通信障害や大規模停電のリスクがあることは現実に指摘されている。(参考:太陽フレア・宇宙天気を踏まえたレジリエンス戦略 | 三菱UFJリサーチ&コンサルティング (murc.jp)

遡ること百年以上も前、ウィリアム・フィッツジェラルドは鼻や口の粘膜、手足、関節など、身体の様々な箇所に圧をかけることで痛みが緩和されることを発見した。五本の指先を洗濯ばさみで挟んで歯痛を消す。クランプで手を挟んで陣痛を和らげる。一九一七年の彼の著書『ゾーン・セラピー』には、洗濯ばさみを幾つも付けられた手指、奇妙な形をしたクランプに挟まれた手足、鋭い歯の櫛を握り込む手のひらなどの写真が満載されている。

“Zone therapy” p59より。Internet Archiveで閲覧

三論文

反射療法とは、足の裏に圧力をかけ刺激することで、痛みや不調を取り除き、人間の自然治癒力を引き出す治療法である。

  • このあたりの反射療法の説明は、大まかには史実である。

たとえばいま私の目の前にあるものは、微かにオレンジがかった背景に、大きく左右の足裏が描かれ、図の上部には「国際反射療法学会」「フットチャート」と大文字で書かれており、その下に小さく「オリジナル・イングハム・メソッド」と添えられている。

International Institute of Reflexologyサイトより引用

二十世紀末に『エビデンスに基づく医療』が急激に浸透する中で、鍼、同質療法《ホメオパシー》、手技療法《カイロプラクティック》などがプラセボ効果以上の意義を持たないとして凋落していく中、反射療法は頑健な有効性を示し、現在では標準医療に準ずる地位を獲得している。

  • 大嘘。もちろん現実のこの私たちの世界では、反射療法もまた、鍼、ホメオパシー、カイロプラクティックと同じくエビデンスのある医療ではない。

自由意志信念とは、「自らの行動を、自らの意志で決められるという信念」のことである。ここでいう「自らの意志で決められる」というのは、政治的・社会的な自由ではなく、もっと素朴な自由を指している。たとえば、朝食の飲み物はコーヒーがいいか紅茶がいいかと問われて、コーヒーを選ぶときのことを考える。私たちはそれを、自らの意志で決めたことだと素朴に信じている。コーヒーを選んだのは自分だと、誰もが思っている。

  • このあたりの自由意思信念の説明は、大まかには一般的な議論である。
  • コーヒーか紅茶かを選ぶ、確かに選んだけどでも自分の自由意思なのか、という議論は、ダニエル・C・デネット『自由は進化する』の解説に翻訳者の山形浩生が書いている昼食何食べるか問題と同じ構図である(山形浩生完全オリジナルなのかはわからない。この界隈ではよく議論されている気がするが)。

自由意志信念に関する心理学実験は二十一世紀初頭に数多く行われた。

  • そんなに数多くと言うほどなのかというと微妙ではあるが、言及しているのは全て実在する実験結果である。

進化心理学は、自由意志信念とは私たち人類が心を進化させた過程で獲得した能力だと解釈した。

さて、比較的近傍の読者がこの文章を読んでいるのだとしたら、

  • 並行世界に関する伏線はこのあたりから。また、ここで「読者」と言及しているのは終盤の構造への伏線として。

パラスタットは二〇二五年の太陽嵐災害で広く知られるようになり、いまや社会になくてはならないものとなった。

  • 太陽嵐災害というのは、太陽フレア災害とかよりかっこいいかなと思って造語にしただけです。
  • ここでパラスタットが登場してそれがなんなのかは説明せずに雰囲気で済ましていて、エピグラフの「不安は自由のめまい」から連想している人はこの時点である程度察するのかなとか、そうでない人は何かわからないかなとか、そのあたりバランスが難しいと思いながら書いた。

実験の被験者は大学生一二〇人で、反射療法を受けた経験があるもの十三人とないもの一〇七人からなっていた(なお、この割合は大学生全体で予備調査としてアンケート調査を行った際の割合と有意な差がない)

  • 反射療法が準標準医療化されてるから1割も経験あるんだよな(適当)

被験者には、実験目的はリラクゼーションによる気分変動に関する心理学実験とのみ説明された。被験者はランダムに四つの群に割り当てられた上で、それぞれ個室で実験を行った。一つ目の実験群は、足の親指の特定の反射区を刺激する反射療法を十五分間受けた(自由意志信念反射区群)。統制群の三群のうち、一つ目は無関係な反射区を刺激する反射療法を同じく十五分間受けた(無関係反射区群)。なお、これらの施術を行った反射療法士は、養成校を卒業後半年以内の療法士六名であり、いずれも実験の目的や、自身が実験群と統制群のどちらを担当しているのかは知らされていない。

  • ディセプション(被験者に実験の目的を伝えないこと)、無作為割付、二重盲検法の手続きが取られている。

自由意志信念に関する議論でしばしば引用される「リベット実験」という実験がある。

「並行世界認識性うつ病に対する反射療法によるアプローチ」と題された論文は、米国内十五箇所のクリニックの協力を得て行われた治験だった。

  • ここで切り込むぜという気合いではじめて並行世界という単語を出し、論文解説パートを終える。第一論文、第二論文からのエスカレーションを意識した。

エレベーターの中

非常灯の下、彼女は非常呼び出しボタンを押し、扉の開閉ボタンを押し、全ての階数ボタンを順番に押して、もう一度非常呼び出しボタンを押し、一切の反応がないことを確かめて、オーチス・エレベータのロゴを指でなぞった。

  • なんか海外のというかアメリカのエレベーターの操作盤のごつさみたいなのあるじゃないですか。オーチスがやっぱり強いよね。ティッセンクルップも響きがかっこいいから好き。
  • 論文解説パートからちょっと雰囲気を変えようと思って頑張った。

だがユニカは、私は半分くらいは階段を使うようにしているよ、と言った。私の自由な選択として。

  • 自由意思のためだけに階段上ってる女、嫌だろ。

「私の自由な選択として《of my own free will》」とはユニカ・クーリッジの口癖だった。彼女は選択することを好んだ。毎朝、コーヒーを飲むか紅茶を飲むか、彼女は真剣に決めていた。彼女の自由な選択として。選んだ方の飲み物を楽しみながら、今朝みた夢について語るのが日課だった。そのときの私はまだ、知らなかったけれど。

  • ここは今読むと忙しいな……。
  • タイトルの意味をここで開示している。直訳調。
  • また、先説法で、語り手がこの出会いの後にユニカと家族になっていることを示している。
  • さらにユニカの日課は大オチへの伏線なのだが、これはちょっと情報多すぎるとこにおいてあって伏線としては薄すぎたなと思える。

エンジニアだったユニカの父は、仕事の関係で、当時商用化が始まるところだったパラスタットコンピュータを仲間内で使うことができた。

  • ここで再びパラスタットが具体的にはどういうことをしてくれるのかを(今度は並行世界についてということを既にバラしているので)出した。具合悪くなるよね。そんなんあったら。

酩酊した状態で無謀な運転をして事故を起こした日、右足のつま先でアクセルを踏み込んだときにもきっと。

  • 並行世界と自由意思についてはいいとして、この小説、反射療法が題材であったことに意味はあるのかとか、代替医療としての立場の危うさみたいなところが、瑕疵になり得るよなというのは自分でも気になっている。それでも、足という身体の部位が物理的に関係してくるというのは、アクセルを踏むとか、一歩踏み出すとか……なんかあるんじゃないだろうか。どうかな。

この一連のできごとが、人々がパラスタットの威容を思い知り、この世界のこの自分に絶望しはじめるきっかけとなったことは、ここでなら誰もが知っていることだ。

  • 個人だけでなく、世界全体が苦しい。

研究の続き

彼女はパラスタットを利用してすらいた。

  • パラスタットに対するアンビバレントを出したかった。使わないのは難しいと思う。

自由意志信念反射区の刺激により人が自由意志信念を強める理由。それは、自由意志信念反射区が対応する脳のバウマイスター野の機能にある。

  • 脳にバウマイスター野という領域は実在しない。バウマイスターは、自由意思信念についての研究で著名な心理学者の名前から借りている。

人類がかつて聞いていた別の自分からの声――あるいはそれを神の声と呼ぶ向きもあろう――に耳を閉ざし、代わりに一人でこの世界に立つための拠り所となったのが、自由意志信念――自らの意志で行動を決められるという信念――だったのである。

電極の留置を完了し、試験刺激を開始した際、ユニカは大きく目を見開いた。その顔に走った恍惚とした喜びを、私はいまでもときおり夢に見る。太陽嵐災害の長い避難生活の終わりに、戻ったら一緒に住まないかと誘った時の彼女の表情でさえ、あれには敵わなかった。

  • なんかこのあたり、語り手の情念がだんだん止まらなくなる感じを書きたかった。

それは無心に歩いていると不意に訪れる天啓、眠りに落ちる直前に聞こえる懐かしい声、目覚めてしばらくすると忘れてしまう淡い夢、そういった形をとっていたかもしれない。

  • 大オチに繋がる伏線。

いま私が感じているこの自由意志信念は、痛みと同じなのだと思う。

  • 進化心理学の物差しで、痛み⇔鎮痛(反射療法による鎮痛)、自由意思(反射療法により強められる)⇔別の私たちとの繋がり、を繋ぐ無茶理論をブリッジしている。できてるか?

私が事情を説明するために語ってきたこの文章と、彼女のこれまでの研究の一切は――このあと実施する実験も含めて――データ化され、彼女の脳に信号として入力される。

  • 好きな構成発表ドラゴン「終盤でそのテクストの出自が明かされるやつ」 正式名称が~わからない構成も~

彼女の脳を経由して返ってくる情報だけでは信用ならないとなれば、この際パラスタットに調べさせればいい。

  • このあたりも、それでも結局パラスタット自体は強キャラ過ぎるというのを出したくて。

こんな文章を書いて意味があるのか、彼女の身体を使ってこんな実験を私がする意味はあるのか、この私がしなくても誰か別の私がするのではないか。

  • このラストシーンが書きたくてここまで書いてきた説があるくらいここを書きたかった。最初にここのところを一晩で書いたんですよね。

ユニカは長い話を終えると、二杯目のコーヒーを求めて立ち上がった。

  • 大オチへの伏線から、意味が伝わっていれば嬉しいのですが(伝わったなと思える感想を書いてくれた方もいらっしゃるので私はそのたびに小躍りしています)。
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