『まちカドまぞく』のどこが好きなのか

 伊藤いづも『まちカドまぞく』が好きです。とても好きなので、どういう所が好きなのかをきちんと言語化してまとめておくべきではないかと思ったので、まとめておきます。本ブログは『まちカドまぞく』と伊藤いづも先生を応援しています。

宿題を果たす

 この記事には単行本6巻までの内容のネタバレが含まれます。未読者に対する布教を意図した記事ではないので、興味のある方は、騙されたと思って6巻まで読みましょう。ただし、アニメ化された範囲のことを考慮して、基本的な内容は1-4巻まで(≒アニメ化された部分)とし、5-6巻の内容(≒アニメ化されていない部分)のネタバレを含む箇所には個別に明記の上、折りたたんでおきます。単行本未収録の78丁目以降の内容には言及しません(歯を食いしばって)。引用画像は全て伊藤いづも『まちカドまぞく』芳文社〈まんがタイムKRコミックス〉電子版による。

 さて、実際には好きなところを挙げようと思ったら無数に挙がるのだけれど、特に重要な点を大きくまとめるなら、三本柱になるのではないかと思う。

軽重の振れ幅と同居

 本作は、突然闇の力に目覚めたポンコツまぞくの吉田優子が「魔法少女に今日も惨敗!」するというゆるふわ日常ハートフル交流ストーリー……ではない。正確に言えば、それだけではない。

 この「本来は敵対する存在であるところの魔族と魔法少女の友愛」というのは定番の構図であり、魔族と魔法少女以外にも、本質的に対立するべきファンタジー的な存在を当てはめれば先行作は枚挙に暇がない(が、本稿では他の作品のネタバレを避ける意味で、具体的な作品は挙げないことにする。以降も同じ)。本作でも、シャミ子と桃の関係は「宿敵」でありながら「親友」や「眷属」にもなる。

 しかし、本作は単にそういうハートフルな日常の話ではない。実は二人自身にしても、二人を取り巻く環境にしても、シリアスな事情に満ちており、このまちカドの平穏は実に薄氷を踏むように綱渡りで成立していて、いつ崩れるかわからない状況にあるのだ。実際にはこれにしても単体ではそれほど新規性のあるものではなくて、たとえば「魔法少女」表象が生きるか死ぬかの深刻な設定として用いられるようになったのは、まあ、あのへんの作品の系譜があるよね、あるけれども、それ単体ではないしそれがメインでもない。

 本作の特徴であり自分がとても好きなのは、上記の二面の振れ幅と同居にある。シリアスな状況設定、絶望的な綱渡りが、ハートフルなゆるい日常と同居して、重畳した形でお出しされる。どちらかだけが本筋というわけではなく、ハートフルに偽装している絶望的な話というのでもないし(そういった作品はハートフルに戻れないことが多い)、シリアスなストーリーの中でゆるいギャグが挟まるとかいうのでもない。二つの面は一体化して併走する。それはとんでもない情報量になって読者を溺れさせる。

 例えば25丁目において、以下の重要な設定が明かされる。

  • 優子の魔族の血筋は父方から来ており、父ヨシュアは(優子と同じく角の生えた)魔族だった。
  • 優子には一族の呪いが特に強く出ており、身体が弱く入院していた。多魔市にやってきた吉田家は、町を取り仕切っていた魔法少女・千代田桜に相談し、一族の呪いに干渉してもらった。これにより残された一族の金運を優子の健康運に変換してもらった。
  • この千代田桜こそ、現在は失踪している桃とは血の繋がっていない姉で、桃の魔法少女の師匠である。
  • 吉田家の一族の呪いを操作したことで千代田桜の魔力は低下し、町を守ることが難しくなったため、ヨシュアが町を守ることに協力することになった。その後、詳細は不明だが、結果的に桜が街を守る過程で父ヨシュアはみかん箱に封印されることとなり、桜も行方をくらました。

 これは直球にシリアスな設定開示であり、これを聞いた桃は、姉が吉田家から父親を十年間も奪ったことについて「私……本当にシャミ子の宿敵だったね」とつぶやいてその場を去る。

 この設定開示とこれに続く26丁目の二人のやりとりは序盤のクライマックスであるのだが、もちろんここに至るまでの、いわば「日常パート」にしっかりと伏線が張られていて、突然シリアスに落としてきたというわけでもない(逆にここでラインを超えたから以降は殺伐とした話になるということも全くない)。

そもそも設定開示自体がギャグだった(伊藤いづも『まちカドまぞく』2巻 p.107)

シャミ子に関すること

 例えばシャミ子に関しては、身体能力を中心にポンコツであることは当初から繰り返し描写されてきたが、それが小さいころ身体が弱くてずっと入院していて退院してからも走ったりするのはNGだったというレベルと明かされ(24丁目)、それはそもそも運命レベルの一族の呪いの影響だったことがここで明らかになっている。吉田家が多魔市にやってきて桜の力を借りることがなければ、優子は今のように健康に育つことはなかった。健康に育って本当に良かったな……。

 しかしそんなシリアスな呪いについて、本編で張られてきた伏線は全くシリアスではなかった。たとえば優子の健康運の引き換えに金運を差し出したことで降りかかった「月4万円生活の呪い」は最序盤から提示されているのだが、こんなの完全にギャグだ。同様に、喋れるようになったリリスが不用意なことを言わないよう、清子がポン酒風呂で制圧(14丁目)あたりも伏線なのだが、これも単なる面白シーンとして処理されている。でもそんなコミカルでゆるい日常生活は、繰り返すけど吉田家が多魔市に来て桜を頼ることができなければそもそも成立していなかった。

 本編上ではもう少しあとで明らかになることだが、シャミ子の過去の状態については「魂は呪いのせいで構造が弱ってスカスカ」と桜が言うほど危険な状態だった(38丁目)のであり、本人の主観的にも、無意識の中で目にした「いやな思い出」が病院での注射器や点滴の姿をしている(37丁目)ことからも辛い日々であったであろうことは明らかで、でも本人が現在では「ご飯も毎日おいしいのに…」と言うくらい健やかに生きている。なんと奇跡的なことか。この軽重の振れ幅、バランスが、日常パートを尊いものにしていると思う。

ご飯が毎日おいしくて本当に良かった(伊藤いづも『まちカドまぞく』3巻 p.98)

桃に関すること

単行本6巻のネタバレを含む

 一方、魔法少女という存在とその役割がシビアであることも、また桃の姉・千代田桜についても、25丁目でヨシュア封印の事情が明かされるまでに繰り返し伏線が張られてきた。桃に家族がいないこと(9丁目)、自分が過去に町の平穏を守れなかったと考えていること(11丁目)、血の繋がっていない姉がいること(15丁目)、魔法少女は身体のほとんどがエーテル体に置き換わっており魔力を使いすぎると消滅すること(18丁目)、魔法少女の働きはポイント制で魔族を狩るとリターンがあること(24丁目)、といった具合である。

 しかし、魔法少女サイドに関しては25丁目のタイミングではまだあまり事情は明らかになっていない。ヨシュアの封印の事情を知って桃がショックを受けているのは、あの時点の情報だけだとちょっとわからない(姉がやったことでそこまで落ち込むか?)のだが、実はそれ以上の事情があったということは、76丁目で明らかにされる。

 独自の思想に基づき、善意から多魔市の魔族を殺し食らっていた魔法少女・誰何と対峙した桃は、桜が残したポイントを消費して辛くも誰何の撃退に成功するのだが、その大量のポイントこそ、桜がヨシュアを封印したときのポイントだった(と思われた)。つまり桃は、吉田家の父を姉が奪ったというだけでなく、そのために支払われた代償を自分が既に使ってしまっていることに対しての罪悪感をずっと抱えていたわけだ。

 この76丁目で明かされた過去の誰何との戦いについても、ずっと伏線は張られていて、桃が変身したのは数年ぶりであること(1丁目)や、6年くらい前に世界を救ったことがあること(2丁目)などは最序盤も最序盤、なんかすごい魔法少女らしいぞ、というギャグの中で処理されている。

 ちなみに、もし「世界を救う」のに失敗していた場合、多魔市は灰の平原と化していた(69丁目)こともわかっている。吉田家が多魔市に来て桜を頼ることができなければ今の健やかな優子がなかったのとコインの裏表のように、ヨシュアの分のポイントを桜が残し、それを桃が使っていなければ、町を守ることはできていなかった。もちろんそのときには、(まだ角は生えていなかったにしてもある程度の素質はあったのだし)優子は他の街の魔族たちと同じく誰何に食われていた可能性が高い。身体が弱いなどということを超えて直接的な危害がここに至って提示され、それまでの日常が奇跡の連続の上に成り立っていたことが明かされているのだ。77丁目でシャミ子が「私…深く考えてなかったんだな」「何も知らなかったんだな」とこぼすのは、読者の気持ちでもある。(で、じゃあこの後すごいシリアスな雰囲気の作品に変わるのかというとそういうこともないのがやっぱりいいところなんだ)

成長すると過去の自分がペロペロに思えるよな(伊藤いづも『まちカドまぞく』6巻 p.118)

文体と語彙

 プロットの軽重の振れ幅が一番好きであることは間違いないのだけれど、次の大きな魅力を挙げておきたい。文体と語彙だ。端的に言って作者は言葉を非常に大事にしていると思う。

キャラクターの口調

 まず文体に関しては、テクニック的な面として、主要なキャラクターの口調が全て識別が容易になっている。

  • シャミ子:普段は丁寧語。シャドウミストレス優子としての発言を強調する場合には「~のだ」「~がいい」「これで勝ったと思うなよ!」など尊大さを作った口調。←冷静に考えるとこの時点でバチバチにキャラ立てすぎ。
  • 桃:主要キャラの中ではニュートラル寄り、クールな口調、言葉少なめ。
  • ミカン:「~のよ」「~だわ」「~かしら」「よくってよ」など女性語的。
  • リリス:一人称「余」、「~のだ」など。

 ここまでの面々は、極端な話、文字で台詞だけ書いてあっても誰のものかわかるだろう。他のキャラクターでも良子(一人称が「良」。「良曰く」)、小倉(「だよぉ」みたいな語尾)、リコ(関西弁)などは露骨である。ライトノベルとかだとよくある手法だが、漫画媒体でもこれをバチバチに決めているのは自分としては好ましく思う(なんでと言われたら理由の説明は難しいけど)。

台詞と作詞における語彙

 また、語彙に関しても光るものがある。

 1丁目から「力点支点作用点的に」とか「片手ダンプ」とか、ギャグの言葉遊び感が独特で、自分はこれが全部好き。だいたいツッコミが上手い。しかしこれはギャグパートで主に活きているなと思っていたら、アニメ版のエンディング曲では伊藤いづも先生が作詞をしていて、それがめちゃくちゃ良くてびっくりしてしまう。多才だ……。そもそも自分は最初アニメ一期を見て、エンディング曲の作詞が原作者だと知ったのが原作漫画を読む事にしたきっかけであったくらいだ。急峻ただ手伸ばす瞬星!

STEM教育の賜物(伊藤いづも『まちカドまぞく』1巻 p.10)

構造

 さいご三つ目は、構造と大きくまとめておきたい。自分は物語の構造フェチなので、構造が重視されている作品を見ると喜んでしまう。でもこれは一つ目と半分くらい被っている内容でもあるので、一つ目で触れていない所メインで書こうと思う。

反復と変奏、食べ物について

 たとえば反復と変奏。要素を繰り返すこと。

 わかりやすい単品でいうと食べ物において特に明瞭だと思う。

 うどんはキーとなる食べ物として繰り返し登場する。4丁目のフードコートのセルフうどんは、シャミ桃が二人が初めて食べた食事であり、13丁目ではシャミ子が体調を崩した桃に食べさせていてこれが初めてシャミ子が作ってあげた料理になる。32丁目での桃のつぶやいたーのプロフィールには好きな食べ物として「うどん」の文字が。うどんは二人を繋ぐ食事になっている。

ここに「うどん」はもう告白だろ(伊藤いづも『まちカドまぞく』3巻 p.57)
単行本6巻のネタバレ

 その後、桃の胃袋はシャミ子に侵略されていき、そちらの話も列挙するとめちゃくちゃ長いのでポイントだけいうと、ギャグでいえば60丁目「シャミ子、今日のご飯何?」に至るし、シリアスで言えば74丁目「シャミ子と会ってから」「ごはんの味がするようになった」に至る。これも軽重の二重攻撃だ。

 73丁目でモヤモヤしたシャミ子は気づいたらうどんを二杯作っており、それを桃に持っていく。ここでもやはり、うどんで繋がる。

 しかしそこからさらにぶっ飛んですごいなと思ったのは、77丁目で明かされる桃の過去におけるうどんだ。桃は桜に初めて出会った際にカップうどんを与えられていたことがここで判明している。その記憶は封印されているのだが、無意識にそれが残っていたから、桃はうどんが好きだった(にもかかわらず食には無頓着なためめんつゆやだしのことを理解していなかった)ことに繋がっているのかもしれない。シャミ桃の二人の始まりの食べ物だったところを覆してその前を作ってきたの、テクニカルすぎる……。

 同じく食べ物では、ぽっきんアイスも重要で、こちらは仲直りのアイテムになっている。24丁目、清子からぽっきんアイスを二人で分けるよう出されるが、シャミ子はこのときうまく千切れない(ヨシュア封印の事情を知った桃はその場を去ってしまう)。39丁目で再び登場したぽっきんアイスは今度こそ、義理の眷属の「ぽっきんアイスの誓い」に使われる。64丁目でもパピコ風のアイスが登場している。また、本編ではないので詳細な話の内容は語られていないが、13丁目と26丁目の扉でも、傘とぽっきんアイスをもって桃の所に駆けつけたシャミ子が描かれている。

傘に付いてるのは6丁目で使ってた人形だと思うけど何故そこに付けた?(伊藤いづも『まちカドまぞく』1巻 p.111)

 あとは、二人の構図の対照・反復というのも度々登場する。例えば片方が弱っているのに肩を貸した帰り道に思わぬ台詞を聞くところとか。

ここすき(伊藤いづも『まちカドまぞく』1巻 p.102)
ここすき(伊藤いづも『まちカドまぞく』3巻 p.84)

伏線の回収、回収するための伏線

 たとえば伏線の全回収。

 伏線というか要素というか、必要なものが全部揃うような伏線回収、むしろそのために設置された伏線というか、回収するために置きにいっているというか、構造のために物語があるような造りになっているのが好き。

 典型的なのが52丁目のウガルル再召喚で、小倉が絶対無理と判断した要素が一晩で全部集まってしまう。物語のレイヤーでいうと、集められたのは偶然でもあるし、シャミ子があすらでバイトするようになって世界を広げた、その優しさで仲間を増やすことができたから、成長してきたからでもある、ということになるんだけれど、メタにいえば、杏里の家が精肉店であることとか、リコが魔力入りの料理を作れることを無理矢理伏線として回収しにいくために召喚条件が設定されているだろう。そういうのが好き。

伏線全回収への感動の擬音「ゴモラッ」(伊藤いづも『まちカドまぞく』4巻 p.115)
単行本5巻のネタバレ

 61丁目の紅玉カチコミ回とそこからの解決においても同様に色んな要素を回収してシャミ子が危機を乗り越えるが、「心の壁フォーム」がキーになっているのなんかはもう、最初からそのつもりで「心の壁フォーム」のギャグを置きにいっただろ、と思われて、そういうのが好き。

 なお、色んな要素を回収して辛くも危機を逃れる、というのは、軽重の振れ幅のところで書いた、紙一重、綱渡りの奇跡で平穏が保たれている話にも繋がっている。52丁目で偶然も含めてシャミ子が色んな要素を集められたのがなければウガルルは再召喚できなかっただろうし、その場合は紅玉カチコミの騒動を丸く収めることはできなかっただろうし、そしてその場合……ときっとその先も続いていく。

終わりに

 本当は他にも語りたい魅力は山ほどあるけれど、特にというところを三本書いてみた。三つで抜き出してしまうと、漫画作品なのに絵の話とか全然していないあたり自分の嗜好がよくわかってしまう(いや、もちろん絵柄も大好きだし描き込みの量がすごいとか色々あるけど、それをたくさん語る言葉を自分が持っていないだけで)。それにもちろんシャミ桃の関係性が好きだよねみたいな話もある、他のカップリングについても色々あるが、一旦今回は置いておきました。

『まちカドまぞく』の連載が再開し伊藤いづも先生の納得のいく形で完結まで描かれることを切に願っております。この作品に関していえば、終わらずにずっと続いてほしい、とかではなく、きちんと物語が結ばれてほしい、と思っています。