【感想】『NSA』アンドレアス・エシュバッハ 赤坂桃子 訳

Amazon.co.jp: NSA 上 (ハヤカワ文庫SF) 電子書籍: アンドレアス エシュバッハ, 赤坂 桃子: Kindleストア

 NSAといってもアメリカの国家安全保障局ではなく、ドイツのNationales Sicherheits-Amt、そしてやっていることはアメリカのNSAと同じ、全ての市民を例外なく監視下に置く諜報活動、使うのはインターネット(みたいなやつ)で流れているあらゆるデータ、ただし時代は第二次世界大戦中のナチスドイツ。既に携帯電話とインターネットが発達した歴史改変世界のSF小説。

 冒頭からいきなりデータ分析がナチス的に大活躍して怖い。強いつかみ。この時代にインターネットがあったら、という話でもあるし、逆にインターネットがある今そういうことをやろうとしたら、という話でもある……、と思ってまずは読み始めた。でも続きを読んでいくとSF小説的な印象はまずは遠ざかる。電話やデータサイロ、ワールドネットの技術的な掘り下げは基本的になく、冷静に考えるとかなり無理がある気もするんだけど、さらりと当然のものとして書かれていて、それよりもドラマの方に引き込まれてしまう。歴史改変世界設定なんだけど、その改変の内容というのが、現代の読者である私たちにとって極めて身近な内容(携帯端末、キャッシュレス決済、その利便性と裏返しのデータで管理されることへの不安)になっているのが上手くて、歴史ドラマを読んでいるようにも現代ディストピアを読んでいるようにも思えるし、またそのどちらかで読んだ時の不自然さを押し通す力にもなっていると思った。ストーリーラインも複雑な長編で、なんか的外れっぽいんだけど読んでる途中は大河ドラマ感を感じた。長いなーとは思ったけど読みやすかったし面白かった。

 以下内容の話なのでネタバレあり。

 上巻では二人の主人公であるヘレーネとレトケの話がほぼ交互に語られ、(少なくともその時点では)無垢なヘレーネと復讐に燃えるちっぽけな悪のレトケが対照的に見えるのだけれど、それがやがて交錯し、しかもある意味で共犯者的、変則的なバディ的関係になり、やがてそれぞれ破滅していく。いやレトケはまあ破滅するんだろうと思ったけどヘレーネのバッドエンドっぷりは痺れるものがあるし(一九八四年!)、レトケのラストシーンもダメ押しの最悪さで良かった。なんか一筋の希望的な終わり方もありうるのかと思って途中までは読んでたんだけど、そんなものはなかった、まあないよなこの世界の設定では、という作者のこだわりを感じた。

 前半に書いたことと少し被るけど、組み合わせの妙みたいなのがすごいなと思った。歴史モノとして、諜報活動や秘密警察に加担してしまう罪悪感であるとか、逃走兵を匿って愛し合うようになるとか、定番っぽい要素がたくさんある。一方でデータとネットワークによる監視社会モノとしても、便利な社会インフラが市民の監視に使われているとか、諜報活動をする主人公が職務を逸脱してそのデータを利用するとか、逆に自分たちもデータによって破滅していくとか定番要素で、二人のラストだってそれぞれある意味かなりテンプレ感あるのだが、でもそれらがミックスされることであまり読んだことのない味が生じている。これは未来の架空の世界で似たようなSFを書いても得られない感覚だろうと思われて、巧いなと思った。

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