僕は風呂から上がると、上半身裸のまま、冷蔵庫で冷やしておいた缶ビールを飲みだした。缶ビールなんてものは僕にとっては冷たければそれでいい。その代わり僕は野菜についてはこだわるほうで、そのときかじっていたキュウリも、信頼している産地直送だった。有機栽培や無農薬だからというより、味がいいからだ。本当に新鮮な生野菜というのは、冷たいビールによくあう。
この部屋も、僕なりにこだわっている。小さなマンションの一部屋だが、広すぎず狭すぎない。隣人たちは親切ではないが、静かな人たちだ。雑然と散らばった本や服は、片付いているとはとてもいえないが、僕は特に気にしていない。その代わり、物が散らばっていようとその上や下にほこりをたまらせることはない。整理されていなくても、清潔なのだ。
三口飲んで二口かじったところで、ノックの音がした。
玄関の扉を開けると目をぎょろつかせた小柄な男がいて、平然と部屋に入ってきた。
「なんだい、君は」と僕は言った。すると男は
「ここは私の部屋だ。入って何が悪い」と言って、冷蔵庫を開けて缶ビールを取り出し、ごくごく飲み始めた。
「お前は私の部屋を勝手にのっとった。私が山に出ている間に」とさらに男は言って、冷蔵庫からキュウリを取り出して、パキッと、音を立ててかじった。
「お前は私が朝出かけて行った後、この部屋に入り込んで、勝手に自分の家にしてしまった。それにしてもずいぶん散らかしてくれたな」
そう言って男は床の文庫本を一冊拾い上げ、「ほら、この本。作者は宮田修一だ。さあ題名は何だ。」と早口に言って、またごくり、パキッとやった。この男は何を言っているんだ。酔ってでもいるのか。
「僕だって全部の本を覚えているわけじゃない。お前は何だ。早く出てってくれ」と僕は、幾分弱々しい声で言った。
それでも男は出て行く気配を見せないので、僕はさすがに腹が立ってきた。
「出て行かないなら警察を呼ぶ」と僕は声の震えをはっきりと感じながら言った。
「警察?どうやって呼ぶつもりだ」ごくり、パキッ。
「こんな山奥の小屋に、電話線を引いてくれるほどNTTは暇じゃない。携帯電話も圏外だ。山を降りて一番近い駐在所までは2時間かかる。ああ、この家は不便なんだよ」
ごくり、パキッ。
ごくり、パキッ。
「さあ、早く出て行け。ここは私の家なんだ」
僕はもう、それに従っていた。さっきのビールみたいに冷たい森が広がっていた。
* * *
短編第41期(2005年12月)に投稿。