ねじれ双角錐群『Fafrotskies』Kindle版配信開始

『Fafrotskies』書影。イラスト:全自動ムー大陸

Fafrotskies (ねじれ双角錐群) | murashit, 笹幡みなみ, 小林貫, Garanhead, cydonianbanana, 鴻上怜 | SF・ホラー・ファンタジー | Kindleストア | Amazon

 ねじれ双角錐群のファフロツキーズアンソロジー『Fafrotskies』のKindle版の配信が開始されました。あなたのKindle端末、PC、スマートフォン、タブレットにも降らせましょう。

 文フリの時の告知記事がこちら。

ねじれ双角錐群のファフロツキーズアンソロジー『Fafrotskies』 #文学フリマ東京 40にてリリース!
『Fafrotskies』書影。イラスト:全自動ムー大陸蛙、分身、呪いの手紙、懐妊ウイルス、未来の血統書、そして🦀ーー空から大量の異物が降る怪奇現象《ファフロツキーズ》をテーマに描かれる六つの物語。ねじれ双角錐群によるSF・幻想小説短編アン...

 そして、感想を書いてなかったことに気づいたし、書いておこう。ネタバレあり

「せんせい、あのね」murashit

「ぼくは、しん判がきらいです。」から始まる、先生に向けて小学生の「ぼく」が書いた作文の形式。「ぼく」は幼稚園で遊んでいたとき、「ものすごいはやくうごこうとしたらいいんじゃないか」と思って、つい光速を超えた速さで移動してしまう。すると「しん判」が現れて「それはできないことになっているんだよ」と告げ、世界の時間を巻き戻して、「ぼく」の移動をなかったことにしてしまう。これが「ぼく」がはじめて「しん判」に怒られた経験だった。

 変なルールがあってそのルールの中でルールをハックしようとする、というのは王道にSFだ。「ぼく」は一応なるべくはルールを破らないようにするのだが、時々はルールを破ってしまい、「しん判」に怒られ、「なかったこと」にされてしまう。その時間の巻き戻しを逆に利用してやろうと考えたりもするのだが、うまくいかない。小学生らしい文体の味がほのぼのとした空気感をもっていながらにして、「なかったこと」にされてしまうということの緊張感が作品をギュッと引き締めていて、終盤の盛り上がりが素晴らしい。最終盤のパートは、この異様な体験の語りをスカしたようにも読めるし、そうだとするとそれは絶望的な結末なのかもしれないが、あるいは深読みすると結果的にはそれが「しん判」の出現を防いだのだとも読めるし、その上で本作紹介文(応募時に改題)を読み直せば、これは「ぼく」が次の一手に打って出ているようにも見えて、奥行きがある。本書で一番好きな作品。

「トリジンタプル」笹幡みなみ

 私のです。

「フィジカル・ドリームズ」小林貫

「言語禍」以降、暴力的な表現が規制され定型化された言葉でしか会話がなされなくなったre・フジ市。しかしあるとき虚構の霊峰・零富士から降ってきた無数の手紙には、定型化されていない呪いの言葉が連ねられていた。

 全部のせの良さがある。定番なんだけどそういう定番が出てくると嬉しいじゃないですか。そうそうこれこれ、みたいな。えぅ要素の引きとか。前半のサイバーパンク的SF感のテンポいい感じな中で、ともかくネーミングがいい。構と虚構かけてるのかなり天才っぽいし、素子湖も良い。クソがよのとこも好き。からの、一転して後半のしっとり感を出してくるのがとても良い。そしてアカミミとか最後回収されたりするのだが、これは序盤のサイバーパンク的SFネーミング群の中で若干浮いているような気がしていたネーミングにちゃんと意味があるというのも、気持ちよくなってしまう。

「怪雨の子」Garanhead

 ずっと自分は特別な存在だと自然に思って生きてきた主人公は、十七歳のあるとき謎の女からの電話に導かれ、テラフォーミングを目的とした衛星シュヴァーベでの調査隊の経験した異常事態を知らされる。宇宙飛行士達が「怪雨」を浴び、男女を問わず全員が妊娠、生まれた子供たちは極秘裏に地球に降り立った――主人公もその一人、人類を救うに相応しい、選ばれし者に違いないのだ。

 ともかく序盤の選ばれし者描写が良すぎる。壮大な文体で自分が如何に選ばれし者なのかを語っていくのだが、語られている内容が絶妙なラインすぎるのである(絶妙なラインとしか言いようがない。パン食い競争でパンを食わずにゴールしたら父母に「人理に反してる」と言われたみたいなエピソード)。謎の電話のシーンめちゃくちゃ好きで、「君は毎朝スプーン一杯のコーヒーを飲んでいたが、今は醤油になっている」なんだそれ、面白すぎるだろ、というところから、「何故もっと早く呼んでくれなかった」って話合わせに行くの本当になんなんだよ。全編そんな調子でノンストップで進んでいき、最終的にも選ばれし者としての自意識の幻視に帰着するの、やりきった感がある。

「煙鏡ーーアビーテスカ血統列伝」cydonianbanana

 競馬雑誌『駿駒』の記事の体裁で語られる、オーナーブリーダー・丸瀬武流の軌跡。1975年5月18日、東京競馬場でテスコガビーの圧勝を目撃した丸瀬は、空から舞い降りた「未来の血統表」を拾う。そこに記された約束の馬、テスカトリポカの血統を紡ぐ丸瀬の長い旅が始まる。

 テスコガビーものがいまアツいらしい。競馬のことはよくわからないのですが、なぜ競馬のことはよくわからないのですがとここで前置きしなければならなくなるかと言えば、どうやら競馬の人たちはその史実というか歴史みたいなものを分厚い文脈として共有してそれを使ってエモくなっているのではないかという疑念を私は抱いており、その文脈を共有してないから俺はエモくなれないんだ、どうせ俺なんて、という思い込みがあるのだが、別にその思い込みを外して読んでみると、いやよくわからんけどよくわからんなりにやっぱりエモいよこれ!というのはあり、エモい。テスカトリポカの鏡とドッペルゲンガーの鏡写しが繋がるのはシンプルに良く、競馬雑誌のことはよくわからないのですが(略)おそらく特有のものと思われるこの文体が癖になるかっこよさだ。

「転がるね群、君に蟹が降る」鴻上怜

 文芸同人ねじれ重角錐群に所属する同人作家・鴻上ルウは創作に悩んでいた。次回の合同誌に向けた作品がうまく書けない。主宰の霧島ゴトーから新橋の中華料理屋で翻案小説に関する改稿アドバイスを受けた鴻上が書いたのはレギュレーション無視のマッシュアップであった。

 ほぼ実話じゃん。ね群の内情が赤裸々に曝露されている。こんなんずるいよ。感情の機微を書くのが上手い鴻上さんがこんなことを始めたら同人が壊れるだろうが(壊れません。壊れていても構いません)。私のイチオシは「鴻上さんがあいみょん歌うの聴きたいなあ」です。好き過ぎる。

タイトルとURLをコピーしました