ブログの秋。
今月の進捗
合宿がしたい。
そう書かれたメールが届いた。メール。そう、敷島からの連絡手段はいまだにメールだ。discordとか、twitterとか、instagramとか、LINEとか、どれもやっていないのだという。メールだけのやりとりでもう十年近くなる。
敷島梧桐は、私が毎年小説を寄稿している文芸同人・ねじれ双角錐群の群員である。それ以上のことはよく知らない。毎年出店している文学フリマ東京でも、一度も顔を合わせたことはない。一昨年は現地まで来ていたらしいのだが、そのときは会うタイミングを逃してしまった。その敷島が、合宿をしたいという。いきなり合宿というのに若干の不安はありつつも、いずれ会ってみたかったことは事実だ。メールのやりとりをし、日程が決まり、行き先が決まった。
早朝の羽田空港に敷島を迎えに行く。どの便でどこからやってきたのかは聞いていない。発着スケジュールを調べればある程度は絞り込めるだろうが、到着ロビーの気だるい空気を吸っていると、その推理をするのは無粋に思えた。税関の出口にぼんやりと立ってあたりを見回すと、迎えに来ている周りの人々は、皆一様に眠そうに、紙だったりタブレット端末だったりで待ち人の名前を掲げている。なるほど合理的な手段で、自分も海外でホテルの迎えを頼んだ時などにはこの光景に覚えがあった。しかし、日本の羽田空港で、自分が迎える側となるとその発想は浮かばなかった。フライトの時間帯だけを知らされて、初対面の敷島とここで落ち合うのは難しいのではないか、と初めて気づいたのだった。敷島は通信回線は確保しているのだろうか。すぐにメールが使えるのならまだいいのだが、そうでなければ困ったことになる。私もノートのページに敷島梧桐と書いて持っていようか、と考えて荷物を探ると、良いものが見つかった。それはもちろん、
すべての恐ろしいことどもは、ぼくらの頭の中に棲んでいる――身の毛もよだつ、異彩の《毛》ホラー短編アンソロジー『よだつ』である。この全自動ムー大陸さんの表紙を掲げていれば、一発で敷島はこちらに気づいてくれるに違いない。持ち歩いていて助かった。実際、『よだつ』の視認性は高く、敷島の到着までに三冊を販売することができた。
敷島を車に乗せ、湾岸線、狩場線、保土ヶ谷バイパスを経由し、東名高速を西に進む。敷島は想像していたとおり寡黙な人で、車内で主に話しているのは私だった。ねじれ双角錐群で小説を書くようになったきっかけや、主宰のcydonianbananaさんを初めとする参加者と知り合った経緯、次回作の進捗の無さなどを開陳していると、敷島も言葉少なではあったが自身のことを語ってくれた。たとえば、チュニスに住む親戚のことだとか。
東名の渋滞を抜け、足柄で休憩をとった後、伊豆に入る。三島市街から伊豆縦貫道を南下していくと、徐々に伊豆感が高まってきた。何が伊豆感をもたらすのかについて、山に囲まれながら川に沿って南下するという地形がキーではないかと議論する。伊豆にはパワーがあるのだ。
これをより詳しく調べるため、私たちは伊豆半島ジオパークミュージアム「ジオリア」に立ち寄った。入り口を入ると係員がそそくさと近づいてきて、いまから七分ほどの説明映像を流してくれるという。どうやら流しっぱなしにしているのではなくて、新しい入館者が来たタイミングで頭出ししてくれているということらしい。他に入館者は見当たらない。私たちは七分で伊豆半島の成り立ちを振り返る。フィリピン海プレートの上の海底火山、火山島が100万年前に本州に衝突し、伊豆半島を形作った。当時の映像を交えた臨場感のある解説だった。
無料の施設であるのに展示は充実している。展示室の奥には水理模型があり、川による浸食、運搬、堆積の作用をシミュレーションすることができる。浸食、運搬、堆積の三つは小学校五年生の理科で絶対にテストに出る、と説明員が力説する。私も敷島も、今なら小学校五年生の理科のテストで三問正解することができる。積み上がった土にポンプで水を流すと、自然と川ができ、やがて蛇行していく。浸食、運搬、堆積で出来上がった地形に、私たちは標識を立てていく。敷島は「典型的な扇状地の全景」とつぶやいた。
伊豆について全てを理解した私たちは、目的地を目指した。ベアード・ブルワリーガーデン修善寺である。
ここはクラフトビール醸造所であると同時に、キャンプ場「キャンプ・ベアード」が併設されている。合宿の舞台としてこれ以上のものはない。今回宿泊したのは「ウェストコーストサイト」のキャビンで、BBQコンロのセットも借りたので、持ち込んだ寝袋以外はほとんどキャンプらしい装備を準備せずとも楽しむことができた。敷地内で良質なクラフトビールが実質無限に手に入る。
肉を焼き、ビールを飲む。クラフトビールは定番モノから、びわや梅や薔薇などフレーバー系まで色々あり楽しい。私はビールは大好きだが、なんでも美味いと言って飲んでしまうのでその製法や種類については明るくない。敷島はホップや酵母の働きについて思いのほか饒舌に語った。私は燻製にも挑戦した。段ボール製の簡易燻製器で、6Pチーズと卵の燻製を作る。卵は前夜に茹でて、めんつゆに漬けておいたものだ。短時間でもそれなりに香りがついて、確かに燻製になっていて面白い。ちなみに、持ち帰るときに段ボールを入れていたプラスチックのコンテナが完全に燻製の美味しそうな香りになってしまった。
ごきぶりポーカーに興じ、夜食を食べ、星を見て、小説の構想を練る。敷島は「いま、物語の版図が更新を待っている」と言った。
翌朝、醸造所の裏側に回ると、キャビンのあるサイトの側よりもいくらか穏やかな流れの狩野川が目に入る。水理模型の扇状地が頭に浮かぶ。カメラが浮上し、自分がいま立っている場所からズームアウトして、狩野川が浸食、運搬、堆積を絶え間なく続ける様を想像する。蛇行した川の淵の向こうには大きく斜めになったタービダイトの地層が見えている。この場所がかつて海の底であったことと、伊豆半島の本州への衝突のすさまじさを物語っている。
翌々日、帰宅して開いたメールには、敷島の書いた三万字が添付されていた。物語の版図の更新は、既に始まっていたのだ。私も急いでキーボードに向かう。