小さなギャラリーを運営する麻子は、「場所と記憶」にまつわる創作をしている谷繁に展示を依頼し、部屋の一室を貸す。麻子ともともとルームシェアをしていたが最近では作品を作らなくなったスミレははじめ、谷繁の出現に対して不満を隠さなかったが、谷繁の制作を手伝うことになる。東京藝術大学大学院映像研究科修了制作作品。
とても良かった。以下作品の内容に言及しますがあまりネタバレなく観た方がいいと思うから観られる人は観た方がいいです(U-NEXTしかないかも)。会話劇の距離感や画面の雰囲気が心地よいのがまずあって、その上で、フィクションの面とドキュメンタリー的な面が奇妙に層をなしているのが面白い。舞台は上飯田町(横浜市泉区)で、なんというかどこかわからなさと、でもどこかに確実にある感じが同居する。かつては子育て世帯がたくさんいて活気に満ちていた団地やショッピングセンターが、いまでは高齢化し様変わりしつつある。その場所について谷繁は住人から話を聞いていく。たとえば麻子は、自分が子供の頃にショッピングセンター内でどこに何の店があり、何が売っていたかを説明しながら歩いていく。それは画面に映っている現在のショッピングセンターの店舗や店舗跡とは同期していないし、なかには何を売っていた店だったかわからなくなったり、何があったのか覚えていない場所もある。谷繁はマイクを構えながら麻子について歩き、彼女の語りを収集していく。そのようにして多くの住人から話を聞き終えた谷繁は、次にそれを(おそらくはヘッドホンで聴きながら)一言一句同じに、自分の声で語る。さらには、スミレに制作を手伝ってもらうことにし、スミレがそれを語る役を勤めることになる。語り直し、というとちょっと違って、谷繁は取材した言葉を一言一句そのまま使っていて、要約したり解釈を加えたりはしていない。一方で、本来のその記憶の持ち主ではない谷繁やスミレがそれを語ることは不思議な効果を生む。谷繁はこの街が自分の故郷にどこか似ているというし、スミレは自分が育った場所がここというのを持たないと言っている。二人の語り直しの仕方にもまた差異が生まれ、劇中に三通りの記憶の語られ方があることになる。さらにこの構造で面白いと思ったのは、上飯田町という実際の町のことを監督は取材をしてこの作品を作っているはずで、作中で語られている記憶ももしかするとその際に集めたものなのかもしれない。そこまで一言一句そのままだったかどうかはともかく、メタな視点も含めて最大四通りの記憶の語りがあることになる。他人の記憶や言葉を語ることで、媒介になったその人の中に残るもの、というのも、そのようにして幾重にもあったのかもしれない。みたいなことをふわふわと考えつつ、良い雰囲気の中でスミレの変化をさらりと押しつけてこない形で表現していてとても良かった。