ねじれ双角錐群『廻廊』 Boothにて販売開始

 とのことです。こちらから。急げ!!!

『廻廊』書影

 面白いので是非入手していただき、読んでみてください。上記画像の通り、装丁もかっこいいので本棚に飾っておくとモテます。モテるか?

 告知がてらネタバレ回避感想を書きます。

 まず全体の紹介文がこちらだそうです。

虚構をめぐる、風景ーー。 19世紀末に成立したという来歴不詳の風景画『望郷』。架空の絵画をめぐり綴られる、幻想譚、恋愛小説、SF、そして、美少女AI百合…… 絵画『望郷』を登場させることを条件に描かれた、多彩な切り口で迫る六つの虚構画譚。

 何言ってんだこいつ。「そして、美少女AI百合」ってなんだよ。ねじれ双角錐群に「そして枠」とかいう概念を作り出してしまったので、次はそして枠にならないようにがんばります。

 各作品は以下のとおり。

01 「cond/quote/lambda」murashit

ハムサンドを食みながら束の間のネットサーフィン、仕上げに錠剤を水で流し込む。目を閉じる、瞼を押さえる。ぐりぐりと撫でる。働くおんなのこたちの(動悸が)どきどきロービジュアル小説、ニューリリース!

 今回新規にねじれ双角錐群に参加したmurashitさんが描く、働くおんなのこたちのお仕事小説。歌うように饒舌な語り口が好きです。SFに含まれるんですかね……?(今回全体的に、ジャンル不明の作品が多いぞ)。

「絵画『望郷』を登場させよ」、というレギュレーションが与えられた時に、「それはどういう絵画か?」とかではなく、「絵画『望郷』を登場させよ、というレギュレーションが与えられた」こと自体に着目している小説のように読めました。合同誌の冒頭をバシッと決めていて素敵。

02 「My Sensible Friend」笹帽子

「ラング・ド・シャがかわいいのって、フランス語効果でしょ? フランス語なら牛タンだってかわいくなるよ。ラング・ド・ブフ」「かわいくないです」「おんなじ猫の舌でもドイツ語で言えば超かっこいい! クーゲルシュライバー!」「カッツェンツンゲン」「日本語で言うと美少女AI百合」「猫の舌」

 拙作。なんだこのあらすじ。あらでもすじでもないぞ。SFっぽいキーワードを使いつつやっていることはファンタジーであり寓話なのかなと思います。

「絵画『望郷』を登場させよ」、というレギュレーションが与えられた時に、「それはどういう(何のための)絵画か?」に着目して書いた小説です。

03 「逆行の標」小林貫

最も大切にしているものを失ってしまった人々は、その先きっと獣のように飢え続けるのだろう。海岸に積み上がってゆく魚の死骸はなにを諷示するでもなく、ただ静かにそれらを見つめている。

 これ読んだときは衝撃でした。今回初読の印象が一番鮮烈だった作品はこれだと思いますし、多分一番好きな作品になるのではないかと思います。画家である妻が魚病に冒されてしまった男の物語。これは全体の紹介文から言えば恋愛小説枠でしょうか? 読みやすい文体でありながらにして幻想的。

「絵画『望郷』を登場させよ」、というレギュレーションが与えられた時に、「それはどういう(如何にして描かれた)絵画か?」に着目した作品だと読み取りました。『望郷』というタイトルに対しても極めて意識的な作品なのが良いと思いました。19世期末はどっか行ったけど。

04 「故郷」伊川清三

その日、僕は好きな彼女のために絵画「望郷」を燃やした。画家であった父の遺言に従って、僕と彼女は「望郷」を探すための旅に出た。これは晩夏の甘い物語――

 これも恋愛小説枠ですかね。これは「絵画『望郷』を登場させよ」、というレギュレーションが与えられた時に、「よし、燃やそう」という発想で描かれた小説ですね(?)。しかし無意味に燃やしていてはダメなわけで。物語に銃が登場したらその銃は撃たれなければならないとチェーホフ先生は言いましたが、それは暴発事故ではいけなくて、そこに因果関係や動機の連関があって、決断的に引き金が引かれないといけない。その観点からこの小説はしっかり引き金を引いている、引かされているのが優れているし、物語の快感を与えてくれます。

05 「夜明けは夢の【枢:くるる】」全自動ムー大陸

生まれてから一度も眠ったことがない私は、悪夢を背負った女「遠野」と出会う。ある日、運命に似たその女は夏を理由に私を海へと誘った。

 まずタイトルも本文も、誤植にしか見えない小説。大事故っぽいが作為。これは因果関係や動機の連関によって銃の引き金を引くことを拒否するタイプの小説だと思いますが、しかし好きです。さっきと言ってることが一貫してないけれど。いやこういうのは両面が並び立たないといけなくて、どちらか片方だけではズレていってしまうのでこの並びが良いと思います。

「絵画『望郷』を登場させよ」、というレギュレーションが与えられた時に、そのレギュレーションを埋没させることに心を尽くした小説でしょうか。

 余談ですが、全自動ムー大陸さんは前回企画時の「器官を失ったスピンドルの形」とはかなり書き方を変えているように思え、僕は「器官を失ったスピンドルの形」は難しすぎる感を覚えたのですが、今回の「夜明けは夢の【枢:くるる】」はしっかりハマりました。逆と感じる人もいるかもしれません。その点いろいろなひとの感想を聞きたい話ではあります。

06 「望郷」敷島梧桐(註釈:cydonianbanana)

人と芸術の関係が決定的に転換した時代、現実に影響をおよぼす虚構群は《湯守》によって管理されていた。ぼくは今日も温泉街を抜けて《湯守》の彼女を訪ねる――絵画『望郷』を内包し、内包されるぼくらの日常を描く幻想画譚。

 註釈小説。芸術の作為と虚構についての湯けむり小説。これがSF枠だという主張がありましたが、本当にそうか? 註釈小説というのが、「絵画『望郷』を登場させよ」、というレギュレーションに対する一つの真っ当な回答なのだろうと思います。絵画を見るとき私たちは全体と細部を交互にそして同時に鑑賞することになり、それは本文と註釈の往復運動になぞらえられるのでしょう。作為についての思考は、作者らしい虚構と物語の捉え方であって、好きな人がぐっと引き寄せられるシーンかと思います。僕は引き寄せられました。最後の一文を提示してこの合同誌を締めくくるのが最高。


『廻廊』Booth販売ページ

既刊(書籍版は完売、Kindle版で公開中):

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