まえがき
電子書籍には、リフロー型と固定型のレイアウトがある。
固定型では、予め決められたレイアウトを、表示するデバイスの画面に合わせて拡大・縮小して表示する。漫画などは固定型を採用するが、単行本に合わせて作られたレイアウトが、小さなスマートフォンでは読みにくい、といった課題が生じる。対してリフロー型では、画面サイズや利用者が設定する文字サイズに応じて、レイアウトを流動的に変化させる。スマートフォンなど小さい画面ではページあたりの文字数を少なくし、タブレットなど大きい画面では逆に文字数を多くして表示する。これにより、ユーザーは各自の環境と好みに応じて最適なレイアウトで読書を楽しむことができる。小説のような文章主体のコンテンツは、リフロー型のメリットを最大限享受できる。
それもあってか、小説は電子書籍への移行が急速に進んでいる印象を受ける。Amazonが提供するKindle Direct Publishingなどを使えば、アマチュア小説家が商業出版と同等のリフロー型電子書籍を配信することも今や難しくない。文学フリマでも、イベント会場では紙の同人誌を頒布しつつ、Kindle版の配信も行うというサークル参加者が増えてきたと感じる(筆者もその一人だ)。電子書籍が登場した頃、電子書籍が紙の本を駆逐するとか、逆に電子では紙には絶対に勝てないだとか、電子と紙を対立させて語る論調が目立ったことを思えば、このような紙と電子の併存戦略がアマチュア小説家たちの間に当たり前のように浸透しているのは、なかなか興味深い。
弊害もある。
筆者はここ数年、紙の同人誌用の小説を書く際、「後でKindle版でリフローできるか」を意識してしまう。改ページを意図的に調整したり、連続する二行であえて同じ単語を隣り合わせにさせたり、特殊な組版をしてみたりといった演出は、後からリフロー型電子書籍を作るときに使えなくなってしまう。だから自然と、そのような手法は使わないで小説を書くようになる。
だが、これは自由な文学とは言えないのではないか。
ワープロでは発想が制限されるからと、紙の原稿用紙にこだわる作家がいる。かつて、当用漢字の制定で旧字体や略字・俗字が失われたことを批判する人々がいた。写本によって書物が流通した時代には、写本に作業者の解釈や翻案が加えられることがあったけれど、印刷技術の登場によってそのような広がりが失われたと批判した人だって、いたかもしれない。彼らが危惧したのと同種の陥穽が、リフローを意識しながら小説を書くことにも隠されていないだろうか。
本書は、そのような問題意識から、リフロー型電子書籍化を真っ向から拒絶し、紙の本でしかできない表現を追求した小説合同誌である。いまや、紙の原稿用紙で執筆する作家は絶滅危惧種だ。旧字体もどんどん使われなくなっていく。写本で流通する文学はもはや無い。だからこの反抗は、きっとささやかなものだ。これからの文学は、リフロー型電子書籍に押し流されていく。そのページに流し込まれていく。それを僕たちは知っていて、けれども今回だけは、その流れに逆らってみたい。
6作それぞれが、果敢にリフローを拒否する様を楽しんでいただければ幸いである。
二〇二〇年四月 笹帽子